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僕の喫茶論。

神田錦町にはその街の歴史を感じる喫茶店がいくつもある。エリカ、さぼうる、ミロンガ、ラドリオ、ぶらじる、数え上げればきりがない。喫茶店とは、明治以降続く大衆文化の際たるもののひとつだから、どの街の喫茶店に入っても、その土地の風土を感じることができるから、座ってお茶を飲んでいるだけで、心が別の世界に向かい、なんだか安らいでくる。
そんな地域性とともに、どこの街の喫茶店に行っても、メニュー、内装、店内に流れる音楽など共通するものがあるから、そんなどこの地にいっても同じ感じも、どこか落ち着かせてくれる要因かもしれない。

先日出張で訪れた広島でも、時間があると探してしまうのが喫茶店だ。
細長い店内は、やっぱりどこか見覚えがあり、初めて訪れたのにどこか懐かしい。細長い客先に平行してつくられたカウンターの横の席に陣取りあたりを見渡した。細長いカウンターの上には、サイフォン式のコーヒーが6つほど、ふわふわと心地のよい湯気を上げているのが見える。友人はブレンドを、僕は紅茶をオーダーした。しばらくすると空のカップアンドソーサーがテーブルの上に置かれた。触ってみるとほんのり温かい。カウンターの上では、空のフラスコにお湯が入れられ、ロートに粉のコーヒーがそそられる火にかけられ黒い液体がゆっくりと抽出される。

そんなひと時をたわいもない話をしながら過ごすのは、せわしないこの時代になんとも贅沢な時間だろう。

ほどなく友人のカップにはコーヒーが、僕のところには紅茶が注がれる。

家やオフィスで手軽に美味しいお茶がのめる時代に、喫茶店でお茶を楽しむ時間を無駄なものと考える人もいるかもしれない。

もちろんそれはそうかもしれないが、喫茶店やカフェで過ごす時間は、お茶の味やそれに支払う対価と比例しても決して無駄なものではないと僕は思う。

それはバーでお酒を飲むことや、音楽を聴く時間、スポーツを楽しむ時間や旅も同様だろう。喫茶店は当たり前な毎日に小さな冒険のような時間をもたらしてくれる。仄暗い扉の向こうには、いつでも別世界が待っている。

写真と文=加藤孝司

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