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ホンマさん翠れんさん写真対談
12年目の「アムール翠れん」(後編)

ホンマさん翠れんさん写真対談

同時代的なさまざまな事柄からみえてくる「今」という時代性。いま、ここ、というイメージを映す写真というメディアは、まさにそんな時代を映し出す鏡ともいえるものだろう。だが写真はときに、時間と場所を超えて普遍性を獲得する場合がある。
ホンマさん翠れんさんの対談の最終章となる後編では、当たり前な日常に寄り添う写真がもつ意味についての対話をお届けします。

写真からみえる、今という時代。

ホンマ:翠れんもモデルをしていたけど、いま、若いモデルをしているような女の子たちの多くが写真を撮っているよね。翠れんは、ほかの人の写真をみることはある?

翠れん:ほとんどみられてないです。インスタはもちろんウェブもほとんどみません。というのも子どもの前で携帯をいじっていると、子どもにとってのお母さんと過ごした時間というのが携帯を持っている姿になってしまうのも嫌だなと思って。夜ゆっくりした時間にみようと思っても、子どもと一緒に寝てしまったり。

ホンマ:手持ちでフィルムカメラもいいけど、みんながそれだと写真が似ちゃう問題があるよね。だから翠れんみたいに制約がある中で写真を撮るのも悪くないと思うんだよね。今日の対談でもたぶん、「翠れんさんの写真はどうですか?」みたいな話しになると思うけど、前に雑誌ブルータスで「みんなの写真」というタイトルで写真特集をしたことがあって。みんな写真を語るときに、例えばホンマタカシの写真、荒木経惟さんの写真、東野翠れんの写真とかって、作家ごとに考えるでしょう?でも、本当は荒木さんの写真の中でも好きなものもあれば、それほどでもないものもあって、俺の中にもいい写真とよくない写真があると思うんだ。でも、みんな俺ならどれでもいいとか、荒木さんならどれでもいいというわけ。もうそういうのはどうでもいいなと思っているんだよね。むしろ時代の大きな無意識とも言えるのかもしれないけど、なんでちょっと可愛い女の子がみんなフィルムのカメラで、手持ちで、逆光で撮るのかなあって、そっちの方に興味がある。

ホンマさん翠れんさん写真対談

ー 翠れんさんはいまホンマさんがいった若い世代についてはどう思っているんですか?

ホンマ:だから翠れんはみていないんだよ。でも、翠れんのある種その浮世離れしたところが最大の強みだと思うんだ。翠れんよりもう少し若いコたちは、人のことを気にし過ぎて焦っているコが多いと思う。作品が似てきてしまうことも含めて。

翠れん:もう少し見れたら面白いのかもしれないけれど…。

ー でもカメラを人とは違うものに変えようとは思わないんですかね?

ホンマ:それは男の考え方なんだと思う。女の子は自分に愛着のあるものを使うことが多いというか。でもSNSやインターネットなど情報が多い分、結果みんな同じことをやってしまうという、そういった落とし穴はあるよね。いろんなところから検索しているつもりが、情報にしてもなんにしても同じところに集中しているところがあって、自分の趣味嗜好だと思っていたものが、ひとつのところに集約していたり。結果、ネットにコントロールされている可能性はあるよね。

ホンマさん翠れんさん写真対談 「夢路」トークイベント終了後の懇親会にて

ー 翠れんさんと前にお話をしたときに、ホンマさんはみんなの写真の先生だからとおっしゃっていましたよね。

翠れん:恥ずかしいですね。ホンマさんは本当のことをいつも言ってくれるじゃないですか。いいこともそうじゃないことも大切だと思うので、そういう人が身近にいなくなったら怖いですよね。

ホンマ:たまに会うくらいだからちょうどいいよね(笑)。

翠れん:もっとお会いしたいです!

ー 翠れんさんはホンマさんに初めてお会いしたときに、作品はご存知でしたか?

翠れん:自分が本格的にモデルと写真のお仕事をするまでは知りませんでした。十代の頃から雑誌はほとんど読んでいませんでしたので、よく「オリーブ」は好きでしたか?と聞かれることもあるのですが、お仕事するようになってから読むようになりました。

ー てっきりオリーブ少女かと思っていました。

ホンマ:やっぱり翠れんは世間離れしてるんだよ。そこがいいよね。

翠れん:だから最近になって古本屋さんでオリーブを読むと、すごく面白いと思います。ホンマさんも佐内さんも、被写体としてご一緒させていただくことで、自分の世界がすごく広がりました。

ホンマさん翠れんさん写真対談 作品制作打ち合わせ風景

写真にとっての時間と場所性

ー ホンマさんの作品にとって生まれ育った「東京」がひとつベースになっているように、翠れんさんにとってはお母さんの故郷であるイスラエルがそのような場所のひとつだと思うのですが、場所についてはどのように考えていますか?

翠れん:あとから見返してみて、撮った場所は忘れてしまうくらい、写真になってしまうと私にとってはすべてが同じになってしまう感覚があります。自分にとっての写真の時間は、まえとかうしろというものが曖昧で、写真に写った場所には時間軸がほとんどないというか,,,,,。だから10年前に撮った写真にもすぐに戻っていけるし、10年前と昨日撮った写真にはあまり違いがないという感覚があります。そういった意味では特定の場所はあまり重要でないのかもしれません。写真も撮りっぱなしですし、今回作品を額に入れることもはじめてで、あまり見せるということをやったこともなかったので、いまは写真を初めたばかりのような感覚もあるかもしれません。

ホンマ:今の話、良かった。場所とか時間は関係がない、というのはすごくいいと思う。撮りっぱなしもいまの翠れんの話を聞くといいかもと思えるよ。

翠れん:本当ですか。

ホンマさん翠れんさん写真対談

ホンマ:なんだったら、今度現像しないというのもやったら?5年とか10年とか現像しない。忘れたころに現像する。

翠れん:いいかもしれませんね。

ホンマ:たまにミノックス(ドイツ製コンパクトカメラ。通称スパイカメラと言われている。ホンマさんの著書「たのしい写真」P176参照)を使っているんだけど、あれって36枚なかなか撮りきれないんだよね。なおかつフィルムの現像をやってくれるところもあまりないし、出したとしても2週間かかるんだよね。だから上がったときの写真をみると、あれ?これいつ撮ったんだっけって思ったり。それこそ夢っぽい感じになるのがすごくいいんだよね。それって撮ってすぐ分かるデジカメと真逆だけど。そっちのほうが今だったら面白いと思うし、展示にキャプションもつけないほうがいいよ。

ー 今回、撮った場所も時間もさまざまだけど、あえてキャプションはつけなかったんですよね。詩は別紙で付けましたけど。

翠れん:そう、必要あったかどうかわかりませんが、今回の作品にはロルカの「新しい歌」という一遍の詩の言葉を一枚一枚の写真に対してあてはめるということもしました。ロルカの詩と、写真を通して感じている世界が、ちょうど重なっているような感覚があったので。

ホンマ:写真の展示で場所などキャプションがあるものもあるけど、結局写真をみるんじゃなくて、それを読むだけになってしまうことも多いから。いいよ、場所なんて。

ホンマさん翠れんさん写真対談

人生の時間を映し出す

ー それって、ホンマさんが「東京」を撮ることの意味合いとは別ですよね。90年代を代表する写真のひとつであるホンマさんの「TOKYO SUBURBIA 東京郊外」は、今もよく見返すのですが、90年代という時代を写した写真で、そこに映っているのはその瞬間であるにも関わらず今みても気づきがあるというか。過去と同じように今この時間も写っていて、それって何なのかなといつも思います。

翠れん:そうですね。

ホンマ:俺の話はこそばゆいから、翠れんの写真の話をしようよ(笑)。写真展のタイトル、「夢路」というのも気になった。夢だけじゃなかったんだ。

翠れん:展示場所も歴史がある神田ですし、漢字のタイトルがいいかなと(笑)。「夢」だけのほうが良かったですかね?

ホンマ:いやいや、夢路でいいと思う。でも漫才師の名前を連想しちゃって(笑)

翠れん:ハハハ。キャット・パワーの「ドリームス」という曲が大好きだから、それもいいなと思ったけど、せっかくだから日本語で、と。

ホンマさん翠れんさん写真対談

ホンマ:ドリームス」もよかったかもね。でも、今日、翠れんの展示をみて、やっぱり写真っていいなと思ったよ。というのも、写真の表現うんぬんではなく、翠れんが結婚して、子どもができて、お母さんとして生活しているその日々が写っているじゃない。みんなその人なりの生き方があって、そういうのが写っているところがいいなと思った。だから、矛盾する言い方になるけど、みんな似たような感じの写真になっちゃうかもしれないけど、結局その人の、その人なりの人生があって、それが写っているということが、写真にとっては意外と重要なのかな。その点、女の人の方がわざわざどこかに撮りに行ったりしないから、よりそれが写真に写ると思う。例えば人の日記に対して、文体がどうとか言っても意味がないように。でも、その人にはその人なりのかけがえのない人生というか、日々があるわけじゃない。写真ってそれを表現する道具でいいのかなと。

ー 本質的ですね。

ホンマさん翠れんさん写真対談

ホンマ:だから俺は逆に、最近の男の子の写真がぜんぜん面白くなくて。いま、丸亀市猪熊弦一郎美術館でやっている、志賀理江子の展示がすごいんだよね(志賀理江子 ブラインド・デート 2017年9月3日まで開催)。ちょっと衝撃を受けたくらい。真っ暗な中に昔ながらのスライドの機械が10台くらいあって。写真展なのにその機械がガシャンガシャン鳴ってるんだよね(笑)。すごい大きな写真作品の展示もあって、普通だったらきちんとライティングして展示するんだけど、豆電球みたいな小さな灯りで展示しているんだ。写真やる人で今、展示を考えてあそこまでプレゼンテーションをしているのは志賀さんだけかも。写真の見せ方も、テキストもすごいし、あの人も子どもがいるんだけど、すごいよ。10月から東京都写真美術館で長島有里枝の展示が始まるけど、それも家族、女性というのがテーマだね。

ー ものすごく興味深いお話ですね。最後の質問になりますが、あらためて翠れんさんにとって写真とはなんでしょうか。

翠れん:写真は日常的なもので、撮っているものが増えていくばかりで、向き合っている感じはあまりありませんでした。そういったところも私にとっての写真が夢のように感じることに関係しているのかなと思っています。写真を撮りはじめたころに感じていたのは、写真と光との関係性がとても衝撃的だったことです。その感覚はいまも変わらなくて。かたちあるものもないものも、言葉になることもならないことも、その「光」の中ではフラットになる感じがあります。自分にとってそれがどういうことなのかを写真を撮ることを通じて探っていきたいと思っています。

ホンマタカシ
ホンマタカシ(ほんま・たかし)
写真家。1962年東京生まれ。1999年「TOKYO SUBURBIA東京郊外」で第24回木村伊兵衛写真賞を受賞。主な作品集に、「BabyLand」(1995)、「NEW WAVES」(2003)、 「アムール翠れん」(2005)、「THE NARCISSISTIC CITY」(2016)、主な著作に「たのしい写真 よい子のための写真教室」(2009)ほか。この秋には「窓学展 窓から見える世界」(スパイラルガーデン)での展示も控えている。
東野翠れん
東野翠れん(ひがしの・すいれん)
写真家、文筆家、8ミリ撮り。1983年東京生まれ。15歳の頃より本格的に写真を撮り始める。モデルとしての仕事と並行して、雑誌への寄稿、ミュージシャンのCDジャケット写真の撮影など幅広い分野で活動する。 著書に「Lumiere」(2005年)、「イスラエルに揺れる」(2011年)、共著に「縷縷日記」(2006年)、「じぶんの学びの見つけ方」(2014年)などがある。

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Vol.9
ホンマさん翠れんさん写真対談

ホンマさん翠れんさん写真対談
12年目の「アムール翠れん」(中編)