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「すべては終わりからはじまっている」
(後編)

大森克己さん+石田真澄さん対談 石田真澄「light years -光年-」より

写真家の大森さんと石田さんの対談後編は、写真を撮る理由と写真と言葉について巡る対談。写真を巡る状況がこれまで以上に多様化している現在、人はなぜどのように写真と向き合っているのか?大森さんも石田さんもデジタル全盛の時代に、フィルム写真を積極的に活用している写真家。写真というメディアについて二人の対話をお送りします。

忘れないために撮るということ。

大森:高校時代に自分のために撮った写真を一冊の本にまとめようと思ったきっかけは?

石田:ロケットの個展が終わったあとに、編集者の安東さんにお声がけいただいたのがきっかけでした。だから私からではないのですが、今になって思えばタイミング的にはちょうどよかったのかなと思います。

大森:そうだったんだね。

ー 石田さんは一貫してフィルムカメラで写真を撮っていますが、同世代の友人もフィルムで写真を撮る人は多いですか?

石田:圧倒的に多いのはスマホです。フィルムカメラも流行っているので、写ルンですや中古のコンパクトカメラをもっているコも多いです。デジカメを持ち歩いているコは私の周りにはいないです。

大森:作品集の写真はすべてフィルムですか?

石田:そうです。

大森:世の中的にはフィルムで撮っていても写真を意識して撮っている人は意外と少ないと思う。スマホはスマホでインスタじゃないけど加工を前提に撮っていたり、インスタグラムストーリーに載せるために撮ることが多いんじゃないかな。

石田:それこそ誰かに見てもらうための写真ですよね。

大森克己さん+石田真澄さん対談

ー 作品集にはいわゆる作品的な写真も収められていて、いわゆる「記録」としてだけ撮っていたわけでもないような気もするのですがいかがですか?

石田:高校生の時からフィルムで撮った写真をプリントではなくデータにしていました。それをインスタグラムに載せたりもしていましたが、ほとんどは自分で見るために撮っていました。フィルムを現像して自分で見返すたびに、過ぎた時間に対して大丈夫忘れてないと思っていました。卒業してからも、ネガを見返しては、まだ高校生時代を忘れてない、覚えてる、この時の記憶はあると安心していたんです。だから後ろ姿や、顔が写っていない写真も多かったのですが、私にとっては撮っていれば安心でした。フィルムだし、街のプリント屋さんでプリントした写真だから肌の色がきれいにでていないとか、みんなにとっては好きな写真ではなかったかもしれないけれど、一応友達にはプリントは渡していました。自分のためにみんなを撮ったみんなの写真という感じでいました。

大森:なるほど。

石田:だから個展や写真集をつくりたいと言って下さった方が、この写真をみていいねと言ってくれたことは不思議でした。私にとっては一番好きで大切なものだけど、この生活をしてない人がこの写真に対して、いいと思うとは全然考えたこともなくて。だから、その後の個展や写真集のお話も私にとっては意外なことでした。

大森克己さん+石田真澄さん対談

大森:その終わってしまう感じというのは、学生生活という「ワク」がそう感じさせるのかもしれないね。大人の生活って、始業式も卒業式も、朝礼とかもないし、ダラッとしてるじゃない?でも本当は、学校に行っていなくても、大人になってもそれは変わらないんだ。目の前のことはいつでも最初で最後なんだよね。だからどんな写真も繰り返しのようにみえて、一度だけ。大人になってそれを意識するのはとても難しいことなのかもしれないけれど、石田さんの写真はそのことを意識させてくれるところはあるのかもしれない。だけど、それだけじゃない何かもあるなあ、とも思うんですよ。お弁当を食べている写真がいいと言ったけど、そこには終わりのある学生生活、制服という記号だけではない、でも、それとは分かちがたい何かがあるんだと思う。

石田:今の高校三年生のコに写真をみて今写真を撮っていますと言われたことがあります。でも私はこれを撮ったことで高校生活が忘れないものになったし、逆にあの頃の方がよかったなと思うきっかけにもなって、高校卒業してすぐの頃はそれが嫌でもありました。

大森克己さん+石田真澄さん対談 対談中に石田さんが大森さんを愛用のチェキで撮影しはじめた

すべてははじめて起こること。

大森:石田さんの今回の本もそうだけど、デビュー作が清潔感があるのはいいよね(笑)。最初が肝心というか。ライアン・マッギンレーも最初の頃の方が好きだし。自転車で自分の近所を走って写真を撮っている感じが俺は好きだったね。

石田:私もそう思います

大森:俺が感じる写真のいいところは、一人でできて、しかもわけが分からないものが写っているところだよね。自分はどうかといえば、テーマとかなく、じゃんじゃん撮るしかない。そういった意味では、石田さんの写真はめちゃ古風でオーソドックスだなあとは思うよ。でもそこは写真にとっては意外と大切だな、と自分は思っていてロバート・フランクもアンリ・カルティエ=ブレッソンも偉いなあと思うのは、ただ自分が面白いと感じるものを撮って、その積み重ねが作品になっているところだよね。そこにいた時に撮ったもの、フランクの場合アメリカだったり、ブレッソンのパリだったり。それは自分がいまいる位置にいかに意識的でいられるかということなわけで、石田さんも手法はオーソドックスだけど、おじさんが木村伊兵衛が好きで街で同じように撮っても、ぜったいそうはならないわけじゃん。今は2018年なんですけどっていう感じで(笑)。俺がiPhoneで撮った写真を作品として発表するのも同じで、それは今が2018年だから。重要なのは今は2018年で、すべては初めて起こることで、初めて見るものだということ。繰り返しと新しいもの、その連続が現実だから。石田さんに関して興味があるのは、毎日の朝礼がなくなってしまった今、何を撮るのかということ。「『光年』の続編」はないわけだからね。それは楽しみでもあるけど。どうかな?

大森克己さん+石田真澄さん対談

石田:今も大学生として朝起きて学校に行くという規則的な生活はしていますが、高校生の頃に比べれば圧倒的に学校にいる時間も少ないし、学生生活の密度が違います。中高の6年間はひとクラス26人で、しかも6年間クラス替えもありませんでした。

大森:6年間クラス替えもなし?それは寺子屋みたいで、メチャ濃いじゃん。

石田:6年間担任の先生が変わるだけでクラスメイトはずっと一緒でした。今も女子大なのですが、その差が激しくて。高校を卒業した年の5月にロケットで初めての個展を開かせていただいて、そのあと本当に何を撮ればいいのか分からなくて悩んでいた時期もありました。でもずっと撮り続けてはいて、何を撮ればいいのか考えないほうがいいのかなと思うようにはなりました。同じ学生生活でも大学には、高校の時に感じていた執着心はまったくありませんでした。それよりも今は日常に友達と会う時間が大切で、今日という時間が終わらなければいいのにと思うようになりました。だからそんな時を撮ればいいんだと思うようになり、それを続ければいいんだなと思うようになりました。撮る対象は変わらなくて、その時の時間や、忘れたくないもの、光、そういうものを私は撮りたいんだとやっと気付けるようになりました。

大森克己さん+石田真澄さん対談

大森:確かにそうだね。話は変わるだけど、石田さんの初の作品集「light years -光年-」に引用されている詩が、俺が2009年に出した作品集「STARS AND STRIPES」に引用した詩と一緒なんだよね。それはエミリー・ディキンソンが100年以上前に書いたテキストなんだけど。
(以下、引用)
A word is dead
When it is said,
Some say.
I say it just
Begins to live
That day.
--- Emily Dickinson

石田:そのことは「光年」をつくってくださった安東さんも偶然の一致だったと驚いていました。

ー 僕も知りませんでした。どういう意味の言葉なんですか?

石田:言葉は死んだ、放たれたときに」と言う人がいる。しかし、私はこう言おうーー言葉はその日に生き始めるのだ、というような意味の言葉です。

大森克己さん+石田真澄さん対談 大森さんの愛機「Konica Hexar」。装着レンズはライカSUMMILUX F1.4/50mm

ー なるほど。「STARS AND STRIPES」は、アメリカのオバマ大統領の就任演説を聞きに集まった人たちを撮影した作品ですが、大森さんはこの作品になぜこの言葉を使ったんですか?

大森:いろいろ重なってはいるんだけど、言葉って文字にしたら眼に見えるけど、眼に見えないものじゃないですか?だから、眼には見えない言葉というワケじゃないけど、演説ーことば、を聴きに人間が集うということが面白かったのがひとつあったよね。俺はアメリカ人でも、オバマの支持者ではないけど、時代の変わり目というか、〜 is dead !という感じがすごくしたんだよね。いろんなものが終わっていくんだなあと強く感じたわけ。この写真を編集しているときにこのディキンソンの詩に出合って感動して、それで写真に添える言葉にしたんだよ

大森克己さん+石田真澄さん対談 大森克己さん+石田真澄さん対談 大森克己「STARS AND STRIPES」より

ー ものすごい偶然でびっくりしました。今回のテラススクエアの展示にも石田さんは写真に言葉を添えていますよね。

石田:私の作品って何か伝えたいことがあって撮っているわけではないし、個展にしても展示に合わせて作品をセレクトすることが多く、それだけでは情報が少なく弱いところがあると思っていました。そこには写真自体に余白あって、見てくださる方が感情移入ができる余地があっていいことだとは思うのですが、展示自体にはコンセプトがあるので少し言葉を足しました。

大森:だからこの対談のタイトルも、~ is dead にするというのはどうかな?石田さんの写真家としての始まりもそうだし、俺にとっても、何かが死んでから始まるという感じが気分だったという。

石田:本当にそれはそうですね。高校時代が終わってからの喪失感はものすごくて大きくて、私がそう言っていたのを安東さんが聞いてくれて、この詩を挿入して貰っています。大人になることは楽しいことだよとは言われていたのですが、その保証はどこにもないじゃないですか。やっと最近は冷静に周りを見られるようになって、これも楽しんじゃないかと思えるようにはなってきました。

大森:石田さんは冷静だよね。すべては終わらないと何も始まらない。それに尽きるんだと思うよ。


  • テラススクエアフォトエキシビションVol.8
    石田真澄「A Day in the Life」
  • 住所: 千代田区神田錦町3-22 テラススクエア 1F エントランスロビー
  • 開催日時: 2017年12月7日 (木)~2018年3月9日(金) / 8:00~20:00
  • 休館日: 土曜・日曜・祝日
  • 入場無料
大森克己
大森克己(おおもり・かつみ)
写真家。1963年、兵庫県生まれ。1994年、写真新世紀優秀賞受賞。アーティストのポートレート撮影、広告の分野での仕事、国内外での個展も多数。主な作品集に『encounter』(2005年)、『サナヨラ』(2006年)、『STARS AND STRIPES』(2009年 、『incarnation』(2009年 )、『すべては初めて起こる』(2011年)などがある。
石田真澄
石田真澄(いしだ・ますみ)
写真家。1999年、埼玉県生まれ。高校時代に自分の記録用に撮影していた写真で注目を集める。2017年5月に表参道のギャラリーロケットで初の個展「GINGER ALE」を開催。同年12月、テラススクエアで新作を交えた「A Day i n the Life」が開催中(2017年3月9日まで)。2018年2月、自身初の作品集「light years -光年-」(TISSUE PAPERS刊)発表。

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Vol.19
大森克己さん+石田真澄さん対談

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