Sediments of Time
2026.6.01

テラススクエアフォトエキシビションVol.37は、Shigeta Kobayashi, Shingo Hikiami 「Sediments of Time」を開催します。

以下、テラススクエアフォトエキシビションキュレーターによるテキストです。

写真家の小林茂太と引網真吾の二人展のタイトルを「Sediments of Time」と名付けたのは、異なる性質を持つこの二人の作家がテラススクエアという同じ空間に展示をする偶然と無縁ではない。

性質の異なる3つのカラーイメージ 。—引網は「Water Jug of Lethe」と題した3点の大きな作品を制作した。タイトル中の「Lethe=レーテ」とは聞き慣れない言葉だが、ギリシャ語で「忘却」を意味する。忘却とは文字通り「忘れ去る」ことだが、忘れ去ることには無意識に忘れることと、何かしらの理由によって忘れざるをえないことを「受け入れる」二つの場合がある。また、引網はこれらの作品を説明する時に「記憶」や「真理」を意味するAletheia(アレーティア)という、「Lethe」と対義語を引き合いに出す。非忘却のことであるAletheiaは哲学的にLetheと重要な対比となっているという。記憶とは?それは人間が本来的にもつ、あたかも水挿しからこぼれ落ちる水のように、容赦なく忘却の沼へと沈み込んでいく人間意識。そのことへの無意識の抵抗なのかもしれない。

小林茂太の作品は、自然と痕跡、そこに侵食する人間意思と時間にともなう風化、それとは真逆な無自覚な暴慢をイメージの中に写し出す。これは小林が近年取り組む「記録体」としての写真と物質による新作シリーズ「imprint matters」の現時点からの実況報告である。場所は日本各地の道路沿い。どこにでもある自然の地形そのものである、道路を切り開くために取り残され崖。それは人間の営みの開拓の痕跡である表皮。植物に覆われているが岩肌がところどころ荒々しくむき出しになっている。そこに地形を侵食するように造作されたアスファルトや擁壁、ガードレールが暴力的に食い込む。郊外を車で走る時に見慣れたこの景色は本当に当たり前なものなのだろうか?小林の作品は自然と人工という耳ざわりのよい対比を写真でそれは本当に当たり前なことであるのか、と問いかけているようである。

「時間」、「記憶」、「痕跡」。時は忘却の途上でそこに我知らず取り残されるように積み重なっていく。写真においてその「無常」こそがそれが意味するところの本質であるかのように。

引網真吾 Shingo Hikiami
1980年和歌山県生まれの写真家。カリフォルニア州立大学を卒業。写真家の上田義彦氏に師事ののち独立してフリーランスの写真家として活動。2025年に作品集『NO STRAY DOT』を発表する。和歌山県白浜にアトリエを構え、引網真吾写真事務所を運営し地域に根ざした活動を展開している。https://www.shingohikiami.com 

小林茂太 Shigeta Kobayashi
写真家。1985年新潟生まれ。中央大学理工学部土木学科卒業。卒業後はコマーシャル写真スタジオ勤務を経て2014年よりフリーランスの写真家として活動。マイケル・シュミットやロバート・アダムス、田附勝などの多くの偉大な写真家の作品にふれることで、芸術写真に興味を持ち始める。アイスランド滞在をきっかけに地質学的な現象への興味を深め、自然現象と人間の営みの関係をテーマにした作品などを制作する。レジデンスプログラムや国際芸術祭への出展など精力的に活動を展開。グラフィックデザイナーの宮添浩司と共にbooks cairnとしても出版活動なども行う。https://www.shigetakobayashi.com 

Text=Takashi Kato

  • テラススクエアフォトエキシビションVol.37「Sediments of Time」
  • 住所: 千代田区神田錦町3-22 テラススクエア 1F エントランスロビー
  • 会期:2026年5月25日(月)〜9月25日(金) / 8:00~20:00(最終日は19:00までとなります)
  • 休館日: 土曜・日曜・祝日、入場無料
  • 主催:テラススクエア | 協賛 住友商事 | 企画 加藤孝司、三浦哲生
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