「風景」を撮るということ。
写真が生まれたとき最初に撮られたものは窓の外の景色だったという。風景写真とはいつ、どこで生まれ、どのようなもののことをいうのだろうか?Dialogue with photography #3のテーマは日本人写真家による日本の風景写真。今井智己氏と三部正博氏にキュレーターの加藤孝司の3名による本展のタイトルは「The New Domestic Landscape」とした。写真が生まれてから何度となく写真とは何か?と問いかけられてきたが、写真において本質的なものは未だ謎のままである。今回の3人の対話において問われたのは、現代写真において風景写真はまだ有効なのかということ。私たちが撮るべきはものは、風景写真から連想されるものを裏切る写真を撮ることでもあるのかもしれない。
なぜ同じ問いを繰り返すのか
加藤:まず展覧会の企画の趣旨からお話したいと思います。今回は日本の写真家による日本の風景写真を展示したいと思いました。ちょうどその頃、1972年にアメリカ・ニューヨークのMoMAで行われたデザインの展覧会「Italy:New Domestic Landscape」の図録を読み返していました。その中に書かれていたのが資本主義の限界、環境破壊がもたらす未来への危機感でした。今と同じ問題を50年以上前のデザイナーが向き合う課題として議論し問題の解決を模索していたんですね。それを読んだ時に本展のステートメントにも書きましたが、世の中の問題は必ずしも時間の経過とともに解決に向かうのではなく、同じ問いを繰り返し続けるものもあるのだと思いました。例えば戦争はしてはいけないものの筆頭ですが、多くの人がそう思っているはずなのに、今も昔も世界のどこかでそれは起こっている。
環境問題に関しては、環境破壊がもたらす気候変動など50年前に比べても現在はさらに深刻さを増しているのは周知の通りです。個人的にはここ数年日本の林業には、取材や仕事として関わる機会をいただいたこともあり、より意識的になりました。
そんなこともあって展覧会のタイトルを「The New Domestic Landscape」に、環境を如実に映し出すものであろう日本の自然の風景写真を展示したいと思いお二人にご相談をさせていただきました。
Masahiro Sambe
今井さんは私が知る限り2001年に発表された最初の作品集「真昼」以降、ドメスティックな風景写真を撮影されてきました。東日本大震災の発生から20ヶ月間撮影し、現在も続いている「Semicircle Law」も風景と自然を扱っている作品とも思えるわけです。
三部さんはポートレートやファッションのお仕事で特に知られていますが、以前から自然と人工が混じり合った風景写真を撮られていることは知っていました。Dialogue with photographyは写真作家でもあるキュレーターが提示するテーマをもとに作品を展示するテーマ展ですが、今回はこの3人で日本の風景写真=ランドスケープ写真を展示したいと思いました。私からこのテーマを聞いたときに作品の選定も含めてどう思われましたか?
三部:コミッションワークでは人物を撮ることが多いのですが、写真を始めた頃は森山大道さんが好きでストリートスナップを中心に撮っていました。何かの本で森山さんがウィリアム・クラインとウジェーヌ・アッジェが好きだと言っていましたが、当時の僕はどちらかというとウィリアム・クラインみたいなストリートで人にグッと寄って撮るみたいな写真を撮りたいと思っていました。
風景写真も撮ってみたりしたのですが、当時は撮りきれている感じを持てずにいました。依頼の仕事を続けていく中で反動ではないですがあらためて風景が撮りたいと思うようになりました。
加藤:三部さんのご出身は?
三部:東京です。
加藤:都市のストリートスナップはリアリティがあったわけですね。
三部:そうかもしれません。だからストリートスナップが印象的な北島敬三さんの写真も好きだったのですが、北島さんがストリートスナップだけでなく風景を撮った写真集「A.D.1991」は当時はよく分からないと思っていました。2022年に風景写真をまとめられた「UNTITLED RECORS」で土門拳賞をとられましたが、今は初期のストリートスナップよりもそちらの方が好きだったりします。
「The New Domestic Landscape」
加藤:三部さんにとって風景写真とは?
三部:風景写真を気にして見るようになってから、自分が向き合う対象も変わってきた気がします。北島さんの風景写真もですが、今回ご一緒させていただいた今井智己さんの作品は学生時代から拝見していて、一緒に展示をできたことはとても嬉しかったです。
加藤:三部さんは学生時代に今井さんの「真昼」を見ていたとおっしゃっていましたね。今から考えても今井さんの「真昼」は私が考えている風景写真というものにとても近くて、無垢の自然でも都市のランドスケープだけでもない、「風景」という以外にないものを捉えていました。私が今のような写真を撮るようになったのは、東京という都市に生まれながらも、それとは真逆な手付かずの無垢の自然に憧れたことがきっかけでした。それで最初は仕事で訪れた北海道の森の写真を撮るようになったのですが、周知の通り北海道は開拓の歴史とともにあって、その場所の歴史を調べていくと、そこは100年以上前にその土地の持ち主の方が、まだ開拓の手が入っていなかった300年前の森の生態系への復元を目指し手を加えてきた歴史を持つ現在進行形の森だった。いわば、人間が作った自然を100年後に原始の森だと思って見ている。それを知った時にあらためて人間が作るもの=風景を肯定でるようになりました。そのような視点を持つようになってから「真昼」をあらためて見返して、コンセプトをずらさずに作品を制作し続けている今井さんと、このテーマ展でご一緒したいと思いました。
今井:展示へのお誘いの際に、加藤さんが人工と自然の境い目というお話をされていたので、今まで自分が撮ってきたものの延長線上にあるものだと思って、だから悩まずに展示する作品を選ぶことができました。
加藤さんは林業とか環境問題も裏テーマにあるとおっしゃっていましたが、自分は社会批評的に写真を撮っているわけではありませんから、あえて今回のような枠組みのなかで作品を展示できるのは新鮮でした。
普段、自分たちは何気なく森や林を眺めていますが、詳しい人が見れば、それが人工林か天然林かは植生から分かってしまうと聞いたことがあります。僕は神奈川県育ちですが、近場にはもう手付かずの自然なんてありません。それを探すことは別の方に任せて諦めて、自分が見るものはすべて人の手が入っているという前提で、街と繋がるその中間領域を撮り続けています。
Tomoki Imai
写真を撮るということ
加藤:今回メインで展示していただいている3つの作品は今井さんらしい作品だと思ったのですが、どのような作品ですか?
今井:3点とも未発表の作品です。それぞれ場所は違って、杉が生えているから明らかに植林された人工の林ですが、管理されずに野放図になっている場所を撮ったものです。それと、三部さんと加藤さんの写真との繋がりも考えて選びました。
加藤:今井さんがこのような場所を写真に撮る場合、どのような思いでシャッターを押すものなのですか?というのも、今回展示している作品は全てそうだといえるのですが、ポートレートなら人が中心になったり、風景写真であればどこかに撮りたい被写体があるものだと思うのですが、これらの写真には中心がないというか、見る人から見ると何を撮っているんだろうと感じる写真だと思うんです。
今井:そうですね。お二人も変わらないと思うのですが、道を撮るわけでも朽ち果てた廃屋を撮るわけでもなく、いろんなものを含めた画面全体を見渡せるようなものを選んで撮っています。
加藤:三部さんはいかがですか?
三部:仕事で地方ロケに行った時などに、移動中ぼんやり眺めていた景色が引っかかってあらためてその場所に訪れることもあります。僕は車を運転することが好きなのですが、自分で運転をするとどうしても風景が流れてしまう。写真を撮る目的の際はアシスタントに運転を任せて僕は窓の景色を眺めて、風景が呼応してくるのを待っている。なるべく存在を消したいので車もなるべく目立たないレンタカーにしたり。今回選んだ3点は車から眺めている際に見つけた場所で撮影した作品です。
今井:写真を撮りたいときは自分で運転しない、というのは分かります。僕も、自分の足で歩かないと風景がちゃんと見えてこないというところはありますね。
加藤:アメリカ写真の巨匠であるエドワード・ウェストンは運転は奥さんや息子や友人に任せて、自分は助手席の窓から景色を見ながら気になった風景があったら、車を止めてもらい写真を撮ったというのを本で読んだことがあります。そういった意味では私も自動車の免許を持っていないので、本展のDMに載っている写真は、北海道で甥にハンドルを握ってもらって「戻って!」と言って撮った写真です。横には「ヒグマ注意!」の看板が立っていましたが笑。車窓という点では、新幹線での高速移動中の車窓から見る、ということもひとつ風景を特別なものにしてくれるところがあると思っています。見るスピードというのも視覚や知覚の情緒的な部分に与える影響があるのでは?と思うことがあります。
Takashi Kato
今井:DMのカバーになっている三部さんの作品は移動中の車窓から撮ったものだそうですね。
三部:あれは35mmのカメラで手持ちで撮ったものですが、加藤さんも今回は手持ちですか?
加藤:今回展示している3点+1点はすべて中判のフィルムカメラを使って手持ちで撮りました。
三部:今井さんが使うカメラは4×5ですか?
今井:作品撮りは4×5ですね。
三部:だとすると必然的に三脚を立てて。
今井:そうです。普段から手持ちで撮ることってあまりなくて、三脚が基本というところがあります。手からカメラを離すのが好きだし、カメラが三脚の上に置かれているのをすこし離れて見るのが好きです。
三部:なるほど。三脚が立っているのを遠くから眺める、なんだかいいですね。
今井:一度セットした後、いちおう別のカメラ位置も探るために何歩か動いてみたりして、そこで振り返ったときにカメラと三脚が立っているのを見る感じが。
「The New Domestic Landscape」
三部:今井さんは同じ場所で、少し構図違いのバリエーションを撮ったりすることはありますか?
今井:陽が動いたりすると何枚か撮ることもあるんですけど、基本は一枚がいいと思っています。そのためにも最初の構図決めはとても重視しています。
三部:人それぞれで面白いですね。アメリカの写真家のウィリアム・エグルストンは35mmのライカを使っているから大判カメラよりもフレキシブルに何枚も撮れるはずなんだけど、あとでセレクトに迷うのが嫌だから基本一枚しか撮らないと本で読んだことがあります。
今井:確かに同じような場所で何枚も撮ると、現像をしてあとで見返してみても決められなくて混乱するだけなんですよね。
三部:僕は同じ場所でリズミカルに反射的に何枚も撮ってしまうことがあって、セレクト時にどれを選んだらいいのかわからなくなってしまうことが時々あります。
加藤:僕も基本は一枚だけど、あとで現像してみたらすごく良くって、後日戻って同じ構図で撮るということはたまにあります。でもやっぱり一枚目が一番いいんですよね。あれなんなんでしょうね。僕は空、次は木々、みたいに別の場所に露出を合わせて撮ることが時にあるのですが、露出違いで撮ることもないですか?
三部:晴れているけど大きな雲があって、日が当たったり陰ったり光に変化がある場合は何枚か撮ることもあります。あと、自分の立ち位置を一歩動くと印象が変わる場合があって何枚か撮ることもありますが、結局それって自分がまだあまり「じっくり見ていない」ような気がして個人的には課題のような気もしますね。だから今井さんみたいに外で三脚を立てて撮ることには憧れがあります。今東京オペラシティアートギャラリーで開催中の山野アンダーソンさんとの展示「ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家」では、小さなガラスを8×10のカメラを三脚に立て撮っていますが、今の段階、外でそれをやったらフィルムが何枚あっても足りない気もして怖いです笑。でも今井さんのお話をうかがってなるほどなあと思いました。あと話は逸れますが、カメラを持って写真を撮っていると周りの眼が気になってしまうことがあります。
三部さんの仕事から 『Glass Tableware in Still Life』torch press 2022
三部正博氏
加藤:それは外で写真を撮っていて、ということですか?
三部:はい。車も目立たないようにというのもそうなのですが、コミッションワークではスタッフの方に見守られていることで撮影の意義が担保されているからいいのですが。一人で風景写真を撮っている時に時々気になってしまう。不審者と思われたら嫌だなと。
今井:でも昔はストリートスナップを撮っていたんですよね?
三部:そうですよね。そう考えると近年特に言われることですがストリートスナップって暴力的ですよね。街で写真を撮っていたら不審者として通報されることもあると聞きますし。三脚を立てているほうがやましい事をしていない、という感じでいいのかもしれない。スティーブン・ショアも35mmの小さなカメラで撮っている時よりも、8×10で撮っている時の方が堂々として撮れたと言っていましたし。
今井:4×5は街中でも普通に撮りますけど、最初は人前で服を急に脱ぎ出すくらいの恥ずかしさがあるけど、いったん構えてしまえば、ショアの言うように、写真をちゃんとやっている人だとわかってもらえると思い込んで、こちらも撮り切るしかないと思っています。
今井智己氏
今井智己『光と重力』リトルモア 2009年
人工と自然の狭間
加藤:話は変わって「風景」についてはどうですか?私は自然の手付かずな状態こそが自分にとっての風景だと思って、3時間歩いても人とすれ違わないような場所に写真を撮りに出かけていました。ですが、無垢な自然はとうの昔に失われ、そこには隠せないほどに問題や課題が含まれていて、それさえも人間がつくったものだった。
でもそれを経験したからこそ、山の稜線に電線が写り込んでいてもそれがリアルだと思えたし、人工的なビルが建ち並ぶ自分が生まれ育った都市に対しても肯定的になれました。当たり前ですが、今では都市も私たちを取り巻く自然と同じように人間がつくったものとして写真に撮りたいと思えるようになりました。自分にとって意識的に風景を撮ることで起こった変化はとても大きかったです。
今井:三部さんの風景写真にも人工的なものが少し入っていますが、それは意識的にですか?
三部:風景写真を撮るようになって途中から意識的にしています。今井さんがおっしゃっていましたが、僕も環境問題とか社会批評的に写真を撮っている訳ではなく、割と感覚的に撮っているところがあります。それでそこに写ったものから自分の嗜好や感じ取ることが多かったのですが、風景に人工物の生々しい引っかかりみたいなものが入ってきた方がいいのかなと思い、意識的に入れているというか受け入れられるようになってきたと思います。
今井:風景写真ということでは、先ほど三部さんから北島敬三さんの写真についてお話がありましたが、北島さんたちは世代的に都市に対する鋭い批評があったと思うのですが、今回の三部さんの作品からは、光の感じとか距離感の取り方に清野賀子さんとの共通点を少し感じました。
Tomoki Imai
三部:確かに清野さんの作品を見ていて、風景写真っていいなあと素直に思ったのは大きなきっかけだと思います。ファッション写真を撮られていたこともですが、写真作品を発表する以前はファッション誌の編集のお仕事をされていたり、清野さんには勝手に感覚的な部分の親近感を抱いています。
今井:清野さんの作品の多くにも自然とともに人工物も入っていて、それらがフラットな感覚で写真を撮られていたのかなと想像します。僕もそういう感覚があって、それは平成的というか、90年代~ゼロ年代に共通する感覚でもあったのかと思い返すこともあります。だから加藤さんの林業も含めた環境の話は、それを写真から感じられるか感じられないかは見る側の感度の問題で、撮る側としては、いま自分にリアルと感じられる風景という感じではないかなと思っています。写真に撮られてしまえば、それは自ずと批評になってしまうわけで。逆に今そういうものでないピュアな自然としての「風景」を撮ること自体難しいんじゃないかとも思っています。
加藤:実際自分も自然が生み出した、ただ美しいものをみたいという感覚から、原初の自然を求めて森の写真を撮り始めたけど、結果、風景を撮ることで森の生命力や人間の営み、環境破壊がもたらすものというところをリアルに感じるようになりました。そして風景を撮ることであらためて写真について考えるようになりました。
今井:自分の感覚としては、純粋であるだけが綺麗ではないというところから始まっていて、そもそも手付かずな自然なんてないんだから雑木林だって綺麗なはずだ、という感覚はあります。
Masahiro Sambe
加藤:時代の感覚という部分で2000年前後から雑誌や作品集で写真を発表されていた今井さんにお聞きしたいのですが、90年代の郊外からゼロ年代の日本の写真には今井さんの「真昼」も「光と重力」もですが森や木々を撮ったものも多く見受けられた印象もあります。あれはなぜだと思われますか?
今井:森だからというよりは、意味化されていない周縁という感じだったんだと思います。都心から周縁へと街がどんどん広がっていった時代です。そこではかつて街と自然を区切っていた里山が造成地になっていきました。そういう身の回りにあるあやふやな領域を撮ることがリアルに感じられるようになっていた。それは手付かずの自然をどこかに探しに行くという80年代~バブル期の写真にみられたある種のエキゾティシズムに対する批評という側面もあったんじゃないかと思います。
なので、では令和の今現在、風景写真を撮るということはどういうことになっているんだろうと思います。
加藤:三部さんはどうですか?
三部:撮影者が写真にいろいろ意味やストーリーをつけて風景論を語るより、風景の方から意味を出してきて、それに素直に呼応した写真が魅力的だと思います。今井さんの作品でヨーグルトを飲んだ後のコップを撮った好きな写真があるのですが、それも風景写真だと思いますし。自然に関して言うと、都会の植木も自然といえば自然なわけで。都会の空き地を見ているとすぐに雑草だらけになってしまって驚くのですが、自然は手をつけないと原始になって人間が住めなくなる。手付かずなのか手をつけた後なのか。人工と自然の定義が曖昧になってきている気がします。
加藤:風景写真において人工と自然を対比して扱うのは全然新しいことではないけれど、一つ自分が風景写真を考える時に参考にしているのが、前回テラススクエアで展示をしてくれたアメリカの写真家アダム・イアニエロもだし、アメリカの伝統的な風景写真家たちが撮った写真です。「The New Domestic Landscape」展の最初の3人での打ち合わせの時にお見せしたのが、1981年、写真家でMoMAの写真部門のディレクターだったジョン・シャーカフスキーがキュレーションし開催された「American Landscapes」展の図録でした。最初に写真というものが生まれて、アメリカ大陸における西部開拓時代の歴史があり、そこで「冒険家」たちによって写された写真が、アメリカ伝統のランドスケープフォトグラフィーとしてその後の写真家たちに受け継がれてきた。中でも個人的には、変わりゆくアメリカの自然環境を移動しながら撮影するロバート・アダムスの風景写真に対する向き合い方が好きです。日本では70年代に北井一夫さんが「都市」から離れ、アサヒカメラの連載「村へ」で田舎道を即物的に撮ったりされていましたが、それに近いことを現在の日本という土地とそこでの歴史の中でも出来ないかと思っているところです。「The New Domestic Landscape」展の写真も単なる雑木林が写っている写真と思われるかもしれませんが、DMのテキストにも書きましたがそこから一歩踏み込んでみていただけたら嬉しいです。
今井:今ロバート・アダムスの名前が出ましたが、自分が風景写真と聞いて思い浮かべるのはルイス・ボルツ以降の写真です。人工と自然の狭間というか、それらを分け隔てなくすくいあげているものが僕にとっての風景写真かな。自然と人工という部分では、都市を撮ったものも風景写真ではあるけれど、僕にとってのそれはもう少し匿名性があってどことは言えないものという感じがしています。
三部:僕も写真に撮る対象としてはなんてことはない風景っていいなあと思いますね。絵葉書的な写真映えする風景写真はInstagramでフォロワーが多い人に任せればいいかなと。今はウジェーヌ・アッジェの写真に引かれるのですが、パリのなんてことない匿名的な風景を淡々と記録的に撮っているんですよね。でもなんだか引っかかる写真で見飽きることがない。
『American Landscapes』1981
Takashi Kato
今井:加藤さんは仕事でデザインやインテリアや建築などに関わることが多いと思いますが、なぜ写真だったんですか?
加藤:単純に写真っていいですよね。学生の頃から自分が身につけているものはあまりなかったけれど芸術への憧れも強かったですし、そういった意味では芸術の一つに写真があると考えて写真を撮っています。風景との関連でいえば私にとって写真を撮ることは、風景を見て絵を描く感覚に近いかもしれません。絵を描くように構図を決めてあとはシャッターを押すだけ。今井さんはなぜ写真だったんですか?
今井:最初は映像をやろうとしていたんですが、同じカメラを使うもので、当時は公募展もたくさんあって盛り上がっていた写真に惹かれていきました。
三部:僕は消去法で写真が残った感じですね。文芸も絵も音楽も難しいけど、シャッターは誰でも押せると思って。でもだからこそ難しいと痛感しているのですが苦笑。
作品のセレクトについて今井さんにお聞きしたいのですが、作品をセレクトする際に、撮った時の印象に引っ張られることってありますか?僕は撮影時の印象が残っていることが多くて、なるべく客観的にみようと意識しているのですが。
今井:選ぶときは鑑賞者として見て、客観的に選ぶようにはしていますけど、人から見たらそうでもないということはあるように思います。でも三部さんもそうだと思うのですが、ネガが上がった段階で、良いか悪いかはだいたい分かります。それでコンタクトをチェックして小さくプリントしてみたら少し時間を置いて、撮った時の印象が薄まる頃に選ぶのが安全かなと最近は思います。
加藤:ということはセレクトから漏れた、人には見せない写真がたくさんあるということですよね。今井さんは選ばないけど、例えば写真にデザイナーや編集者が関わる場合、他者が選ぶ写真というものがあっても良いのかなと思いますがいかがでしょうか?
今井:それはありだと思います。ただ自分の作品であっても、たとえば「一軍」と「二軍」と「三軍以下」があって、一軍と二軍で人に入れ替えてもらうのはいいけれど、三軍以下は人には絶対に見せません。
加藤:でも他者から見たらこれも良いということもあるのでは?
今井:それを考えはじめると、作家として何がしたいのかがブレるというか。自分が三軍以下だと思う以上、それは世の中に出してはダメだと思います。
加藤:今回のキャビネの雀は大丈夫でしたか?
今井:ギリギリじゃないですか笑。だってあれは本編とは違う「チャーミングな」という、キュレーターとしての加藤さんのリクエストがあったから、ですからね。
今井智己 Tomoki Imai
写真家。1974年広島県生まれ。1998年東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。自然と都市の中間領域を撮り続けている。主な作品集に『真昼』(2001年)、『光と重力』(2009年)、『Semicircle Law』(2013年)。サンフランシスコ近代美術館、東京都写真美術館に作品が収蔵されている。
三部正博 Masahiro Sambe
写真家。1983年、東京都生まれ。東京ビジュアルアーツ専門学校を経て、写真家泊昭雄氏に師事し、2006年に独立。
2015年頃より人為的なものと自然のコンポジットを超えて働きかける風景をおさめたパーソナルワーク「landscape」を撮り続けている。
美術、建築に加え、音楽、ファッションの分野においてもコミッションワークを手がける。
まとめ、展示・人物写真=加藤孝司 Takashi Kato
- テラススクエアフォトエキシビションVol.29「Dialogue with photography #3 The New Domestic Landscape」
- 住所: 千代田区神田錦町3-22 テラススクエア 1F エントランスロビー
- 開催日時: 2024年11月21日(火)〜2024年2月16日(金) / 8:00~20:00(最終日は18:30までとなります)
- 休館日: 土曜・日曜・祝日・年末年始 入場無料
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