Masahisa Fukase
1961-1991 Retrospective
2023.4.04

Masahisa Fukase 1961-1991 Retrospective
TOP写真 《襟裳岬》〈烏(鴉)〉より 1976年 日本大学芸術学部蔵 ©深瀬昌久アーカイブス
“Erimo Cape”, from “Karasu(Ravens)”, 1976,  Collection of Nihon University College of Art © Masahisa Fukase Archives

深瀬昌久の作品を前にして感じるのは、喜びか畏れか、戸惑いか、諧謔か?その写真と正面から向き合うたびに、その深淵に思いがけず心が触れ、我が身に潜む闇がりに向き合わざるを得なくなる。
深瀬昌久は1934年北海道生まれの写真家。日本大学芸術学部写真学科卒業後、日本デザインセンター、河出書房勤務を経て1968年フリーに。1992年の新宿ゴールデン街での階段転落事故まで、写真雑誌や生前発表した8冊の作品集、展覧会で作品を発表した。1977年には、前年に発表した「烏」で第二回伊奈信男賞を受賞した。2012年に永眠。

小説にわたくし自身やその生活を題材とする私小説というジャンルがある。深瀬もまた、70年代頃より私生活も含め自己開示的ともとれる作品を発表していたことから私小説的な写真家と評されてきた。
現在、東京都写真美術館で開催中の「深瀬昌久1961-1991レトロスペクティブ」展は、没後日本で開催される深瀬昌久の全貌をみることができる初の大規模展である。

東京都写真美術館では、作家存命の1988年から重点収集作家として深瀬昌久の主要作品を収集してきた。そこには深瀬自身がプリントし、作家から直接購入した「遊戯」など貴重な作品も含まれる。本展ではその美術館収蔵作品に、深瀬の母校である日本大学芸術学部のコレクションから「烏(鴉)」 、深瀬昌久アーカイブスの協力のもと集められた作品を加えた114点と資料などを展示する。

展示構成は、8つのパートに分かれ、順番に「遊戯」「洋子」「烏(鴉)」「サスケ」「家族」「歩く眼」「私景」「ブクブク」。それらを個室のような空間に時系列に沿って展示することで、作家の道程をたどることができる内容となっている。

Tokyo Photographic Art Museum「Masahisa Fukase 1961-1991 Retrospective」展示風景

Tokyo Photographic Art Museum「Masahisa Fukase 1961-1991 Retrospective」展示風景

最初の部屋の「遊戯」は、1971年に出版された作品集と同タイトル。のちに妻となる深瀬作品のミューズ洋子が登場し、あたかも6つの私小説の小品による短編集を編むかのように展開する写真集だ。
その6つを作品集に掲載された順番に書くと、「屠」は出会ったばかりの洋子に黒いマントを着せ、屠畜場で撮影したもの。洋子との結婚式を撮影した「寿」、1968年の新宿のヒッピーたちとの日常を記録した「戯」、「冥」は洋子とは別の女性との記憶をつづった深瀬の初期作品。洋子とその母をモデルにした「母」、その母と洋子と愛猫との3Kの公団松原団地で暮らしと洋子が習っていた謡曲の稽古の風景による「譜」。途中で差し挟まれる初期作品の「冥」をのぞいてほぼ時系列なのだが、展示ではそれらが時系列順に再構築され、一冊の本のように展示される。

《無題(窓から)》〈洋子〉より 1973年 東京都写真美術館 ©深瀬昌久アーカイブス
Untitled(From Window), from “Yōko”, 1973 Tokyo Photographic Art Museum
© Masahisa Fukase Archives

つづく「洋子」は文字通り妻洋子を被写体としたシリーズ。そのはつらつ天真爛漫な姿は、今回の展示中最も生命感に溢れたものに感じられる。その12年間の結婚生活の出会いから別れまでは、写真集「洋子」(1978年)にもまとめられている。
妻を被写体としながらも、後年その妻に「救いようのないエゴイスト」と言わしめるほど、ここには、向かい合わせの鏡のような深瀬自身が写っている。そこに私写真家と言われる所以があるのかもしれない。
ここにはまた、その後の深瀬の世界的評価を決定づけた烏の写真も何点か含まれる。かつての妻と烏という、陽と陰ともいえるものが同じ地平に交差する。

1970年代に入ると深瀬は郷里北海道にたびたび帰省するようになる。それは、1952年に上京してから20年ほどたってのことだった。帰省し始めた当初こそ妻洋子を伴ってのものであったが、結婚生活が破綻寸前であった1976年、深瀬は新たな作品のテーマを求めるかのように、郷里北海道の地をひとり、電車やバスで彷徨する。それは妻と心が離れた寂しさやそれに伴う焦燥感を紛らわすためだったのか、その溝を埋めるために没頭したのがそれまでも撮影していた「烏(鴉)」だった。しかし、自分自身が烏だと居直り、次第に烏はどうでもよくなったと語っている深瀬の文章も残されており、一筋縄ではいかない。

Tokyo Photographic Art Museum「Masahisa Fukase 1961-1991 Retrospective」展示風景

白黒ネガティブフィルムの場合、明るいものは黒く、暗いものは白くフィルム上に記録される。だから、全身が黒く、黒くしか写らない烏は、白黒反転するネガ上では白く映し出される。一方、適正露出で笑顔で撮られた人間の顔は、どんなに満面の笑みでも、白黒反転するネガフィルムの上では暗く不気味に顔を歪ませた様で映る。人間の眼には黒く不気味に映る烏の姿も、写真家である深瀬の眼には、暗い暗室の中ではくっきりと浮かび上がる希望のようなものに見えていたのかもしれない。

「烏(鴉)」と並んで深瀬作品を語る上で欠かせないのが、幼い頃からほぼ途切れることなくそばにいた猫の存在だろう。なかでもサスケは、1976年に長年連れそった洋子との別離以降数年、中心的なモチーフとなった。自らが暮らした一室で、表参道の交差点で、移動中の車中で、木の幹や電柱のランプの上、のどかな田園風景の中で(深瀬の祖母が暮らす山梨県北巨摩郡武川村甲斐駒ヶ岳へ2匹の猫と旅をしていたそうだ)、飼い猫とは思えないシチュエーションの中で撮影された猫の姿は、家出を繰り返す飼い慣らされない深瀬の姿そのもの。1974年に写真雑誌「カメラ毎日」に掲載された「洋子」の作品解説の中で、当の洋子さんは深瀬と思わしき人物のことを「黒猫」とも書いている。
当時は現在と同様、世は空前の猫ブーム。それらの猫写真と深瀬が撮る猫の写真は、その構図も作家の猫を視る目線も全く異なる。この時代の深瀬の猫写真は、「カメラ毎日」「日本カメラ」「ペットライフ」などの雑誌に掲載された。

Tokyo Photographic Art Museum「Masahisa Fukase 1961-1991 Retrospective」展示風景

筆者も猫と暮らしているからわかるのだが、文字通り猫の目のように絶え間なく変わるその表情は、写真家でなくともついつい撮りたくなる。個人的に思うのは、ここで被写体となっているサスケやモモエと名付けられた猫が、深瀬のカメラに追い回され、連れ回されながら、被写体として根気よくお付き合いをしたなあということ。ちなみに写真作家の撮る猫に荒木経惟氏のチロちゃんのシリーズがある。生後4ヶ月の雌猫チロちゃんが荒木のもとにやって来たのは1988年のことだった。

「家族」
深瀬は北海道美深町(びふかちょう)に祖父の代から続く写真館の長男として生まれた。学生時代より写真館の撮影を任されるなど、家族や家業との関わりが深かった。写真家として活動を始めた当初から、身近な人や風景を題材に私小説的なアプローチで撮影してきた深瀬が、本格的に家族を被写体に撮り始めたのは、1971年の夏。妻洋子をともなって実家に帰省した時だった。
いかにも写真館らしい白ホリを背景に撮影された家族の集合写真は、写真撮影の確かな技術と機材に裏打ちされたものだったが、家族以外の者が紛れ込んでいたり、後ろを向いていたり、不自然な要素が紛れ込んでいて面白い。
その撮影は父が亡くなり、写真館が廃業する1987年まで断続的に続けられた。

Tokyo Photographic Art Museum「Masahisa Fukase 1961-1991 Retrospective」展示風景

「歩く眼」は48歳の深瀬が、上京してから30年の間に過ごした14の場所を歩き撮影したシリーズ。
その中でももっとも長く、12年間を過ごした草加松原団地は、洋子と結婚して暮らした深瀬の第二の故郷ともいえる場所。
斜俯瞰や接写、構図が傾斜した白黒写真は、夢の中の風景のように、現実のものでありながらリアルな場所としてはその存在はどこか心許ない。

続く「私景」は、1989年にインドやヨーロッパ、生まれ故郷である美深町を旅した際に撮られた作品。ここでは石畳の上のカラスや、花壇の中の白鳥などが写されながらも、そこは深瀬、ありきたりな観光写真ではもちろんない。画面の中にピンボケした自ら顔や足が写り込む。それは猫の章のサスケやモモエの顔や後頭部を間近から撮影した構図にも類似が見られる。それは、自ら進んで猫を撮るように自身を撮ったのか、写真家として、猫の自由な眼差しを手に入れたかったのか。ここに至って、深瀬の頭の中をあらためて覗くように作品をみてみたくなり、展示室を後戻りした。これは、その活動を俯瞰的に観ることができる本展ならではの体験であり、仕掛けだろう。

本展を締めくくる「ブクブク」は、風呂場の湯船に沈めた自らの顔を水中カメラで写した、今でいうセルフィーのイメージ。写真家が撮影する自撮りともパフォーマンスともとれる風変わりな作品は、転落事故の同年に銀座のギャラリーでの展示に出品されたという。

最後に、デザイナー木村稔将氏がブックデザインを担当したハードカーバー(上製本)の単行本サイズの美しい図録(216ページ、3,300円税込)も必見である。

深瀬昌久|Masahisa Fukase
1934年北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。日本デザインセンターや河出書房新社などでの勤務を経て、1968年に独立。1960年代初期よりカメラ雑誌を中心に写真作品を多数発表。1974年、米・ニューヨーク近代美術館で開催された企画展「New Japanese Photography」を皮切りに、世界各国の展覧会に多数出品。代表作に〈遊戯〉〈洋子〉〈烏(鴉)〉〈家族〉〈サスケ〉などがある。1977年第2回伊奈信男賞、1992年第8回東川賞特別賞など受賞。2012年没、享年78。

テキスト、会場写真=加藤孝司 Takashi Kato

  • 深瀬昌久1961-1991レトロスペクティブ
  • 東京都写真美術館 2F展示室
  • 開催期間:2023年3月3日(金)~6月4日(日)
  • 時間:10:00~18:00(木曜・金曜は20:00まで、入館は閉館時間の30分前まで)
  • 休館日:毎週月曜日(ただし、5/1は開館)
  • 料金:一般 700円/学生 560円/中高生・65歳以上 350円
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