小林茂太インタビュー

フィルムの実寸大のコンタクトプリント、岩の形を直接写し取ったイメージ、コピーを重ねることで生まれた像。写真を「物理的な接触の跡」と捉え、カメラという道具だけに限定されないさまざまな方法で、その可能性を探る小林茂太氏。写真というメディアの境界を問い直すそれらの作品には、自然と人工、記録と記憶、そして時間について問い続けてきた作家の現在地があらわれている。
「写真」がもつ物質性
ー 小林さんは大学で建築を学んだとお聞きしました。そんな小林さんの写真との出合いを教えてください。
大学では土木工学を専攻していました。丘陵で測量実習をしたり、橋梁などの構造計算をしたり、コンクリートの強度を測ったりと、土木工学に関する基礎的なことを学んでいました。
卒業論文では、ある市街地に大型商業施設ができたと仮定したとき、どのような人の流れが考えられるのかを数式で計算し、予測するようなことをしていました。でも、今となっては何一つ覚えていませんし、実際、卒業後はまったく別の仕事に就きました。
大学在学中に、自分で洋服をつくり、それを知人に着てもらい、イメージ写真まで自分で撮影していた人と知り合いました。とてもコンパクトで、丁寧なブランドでした。写真との出合いは、そこだったのかもしれません。
彼の影響でカメラに興味を持ち、中古のフィルムカメラを買いました。とはいえ、何かを撮り始めるということはなく、旅行に持っていく程度でした。
同じころ、海外のファッションブランドのディレクターを務めていた人が、若いバンドマンのエネルギッシュで刹那的なモノクローム写真を撮影していて、とても影響を受けました。その後、それまでの仕事を辞め、商業写真から写真の世界に入り、そこから興味が派生していきました。
ー 小林さんが写真との向き合い方に大きな変化があったのが、2010年代なかば、フリーランスのフォトグラファーとして活動を開始したころであったとお聞きしたことがあります。その変化のきっかけについて教えてください。
はい。2014年にフリーランスになりました。特別なつながりがあったわけではないので、なんとか食いつないでいまに至るのですが、仕事をいただくためにはポートフォリオを見てもらわなければいけません。そこで初めて、自分の作品とはどういうものなのかを考えるようになりました。
それまでも、見よう見まねでポートフォリオを作成していましたが、反応があまり良くありませんでした。さまざまな作家の方々の写真集や活動をあらためて見はじめたのも、この時期です。仕事をしなければいけない一方で、作品についてはまだ定まっていない状態でした。
2018年にアイスランドへ行きました。約1カ月間、高原のトレイルや街を行き来するなかで写真を撮っていました。ただ、作品をつくろうと思っていたわけではありませんし、歩くことに重きを置いていました。ですので、カメラもなるべく小さくて手軽なものを用意しました。
そもそも、山登りなどを積極的にする方ではなかったので、テントなどの道具もすべてそのときに揃えました。
帰国後、撮影したものを見ていて、これらを何かにしてみたいと思いました。それまで「作品」というと、長い時間をかけてつくらなくてはいけないという、どこかで聞いただけのような壮大な作品像がありました。
でも、アイスランドで撮影したネガの束を見ていると、そうした想像はいったん置いておいて、この1カ月間が何だったのかを考えてみようと思いました。なかば強制的に作品にしてしまおう、という態度だったのかもしれません。
ただ、明らかにそこで、それまで持っていた作品像は変わりました。また、それまでは写真に何が写っているのかということばかりを気にしていましたが、初めて写真が物質的な何かであるという側面を感じました。
自然と人工のあいだにある「露頭」
ー 今回展示していただいた作品にも表れていますが、「自然」と「人工」との関係は、小林さんの作品の大きなテーマのひとつです。この二つは写真に限らず、さまざまな表現のテーマや主題になるものだと思いますが、小林さんがこれらを主題にされる理由を教えてください。
アイスランドでの経験や、2022年の雲ノ平山荘アーティスト・イン・レジデンスプログラムでの制作を経て、とても大きな自然を見させてもらいました。また、そういった自然をテーマとした国内外の写真作家の作品を目にするなかで、自然の特権性を扱ったものから、それらに対する違和感の表明まで、その時代ごとにさまざまな表現があることを知りました。
個人的にも後者の影響を受けつつも、やはりどこか借り物の態度であることは否めずにいました。
そこで、アイスランドや雲ノ平で見てきたものを、自分の家の周り、生活の場の先で見ることはできないのかと考えていたとき、2023年に地質学用語である「露頭」という言葉を見つけました。
この言葉は、地層や岩石などが地表に剥き出しになっている場所のことを指します。本来は土などに覆われているもの、それは地の活動とともに形成されたものですが、それらが何らかの作用によって露出しているということ自体が、どことなく写真と重なるように思い、興味を持つようになりました。
また、そのような場所が沿岸部や山間部だけではなく、幹線道路沿いなど、比較的身近なところにもあることも、そのときに考えていたことをつなぐように思いました。
そもそも、アイスランドや雲ノ平の自然に何を見ていたのかと考えたとき、とてつもない時間の積み重なりが、さまざまなかたちとして目の前にあらわれることだったのだと思います。
そうしたものを日常から遠いどこかで見ることは、とても特別な経験です。それだけで何かになってしまう反面、自然が自然で収まってしまうというか、言葉にしづらく、ともすればすべてが素晴らしいもののように見えてしまう。
だからこそ、日常のすぐそばにあるはずの大きな自然に目を向けたくなりました。そして、学術的な「露頭」に囚われず、地層や岩石が露出している場所、さらに、その近くに人工物がある風景を探し始めました。
ー なるほど。これまでの作品を拝見していると、自然と人工物、あるいは自然に生まれたものと人間によってつくられたものが、単純な対立ではなく、どこか同じ地平に置かれているように感じます。小林さんにとって、この二つを同じフレームの中で捉えることには、どのような意味がありますか?
まったくそのように感じています。どちらが良い悪いということはないと思います。そもそも、自然や人工ということ自体にもそれぞれ曖昧さがあり、切り分けられるものではない。
これらを同じフレーム内に収めるようになったのも、「露頭」を知ってからです。剥き出しになった岩石の前に赤色のカラーコーンが置かれた風景は、まさにそれを表していました。
実際にそういった風景があったわけですが、それはとても静かなバランスでありながら、せめぎ合いの場でもあったと思います。その瞬間によほどのことがない限り崩れることのないバランスやせめぎ合いを眺めていると、自然のありようや人間の活動の一端に触れることになるように思います。
そして、そういう風景は、日常生活では通り過ぎてしまうくらい身近にありました。
また、先ほど「よほどのことがない限り」と言いましたが、それが一瞬にして崩れてしまう可能性が常にあることは、すでに知っていますし、そこについての意識がないわけではありません。
「意味」ということで言うと、明確には言えていないかもしれませんが、そうした現実と、その先にある可能性を想像する入り口が、あまりにも身近にあるという当たり前を再提示しています。
さらに写真のフレーム内の話をすると、それらのバランスやせめぎ合いを、図形としてフレーム内に配置している意識があります。それが、制作する上でのバランス感覚にも返ってきています。
ー 一方で、建築や道路、廃墟、道具といった人工物にも、人間がそこにいた時間や、その場所が経てきた時間が刻まれています。小林さんは人工物の中に、どのような「自然」、あるいは「時間」を見ていますか?
先ほど、自然と人工ということ自体が曖昧であるということには触れましたが、もう少し進めると、自然の中に人工があり、その人工の中にまた自然があるという状態を想像しています。
その上で、ここで問われている「自然」について考えていると、変化や変容のことが思い浮かびました。
制作で鉄を使うことがあるのですが、鉄が錆びる過程を見ていると自然を感じます。それは状態に変化が起こるからです。そして、その過程がそのまま「時間」になる。
時間というと数字で考えてしまいますが、ある現象の始まりから終わりまでといった曖昧なものなのかもしれませんし、その始まりと終わりさえ定めることは難しい。
実際、鉄を錆びさせる作業では、その日の湿度や温度、日射によって仕上がりがまったく違います。ですから、「時間」を数字で捉えることで、曖昧なものを測る指標として使っていたのだと思います。
ただ、この態度は、自然に対しても変わらないように思います。
「物理的な接触の跡」としてのイメージとは?
ー 今回展示作品のなかの「imprint matters」は新作のシリーズだそうですが、本作について教えてください。また、ここでの「記録体」としての写真とは、小林さんにとってどのようなものでしょうか?
「imprint matters」は、中之条ビエンナーレ2025(群馬県)への出展のために撮影したプリントなどを直接紙に貼り付け、まず原本となる一冊をつくり、それを表紙から裏表紙、本文まですべてコピーすることで次の一冊をつくり、その一冊を原本としてコピーすることでさらに次の一冊をつくる、というように、コピーする階層を変えながら繰り返すことで10冊だけ制作したアーティストブックです。同年のTOKYO ART BOOK FAIR 2025で発表しました。
そもそも中之条での制作では、地域に残されている絵画としての記録や口伝伝承、言い伝えなどをキーワードとしていて、それらが人から人へ伝わる段階での変容の過程を本に落とし込みました。
また、中之条での制作を通して、写真は何らかの物理的な接触の跡である、という再解釈をするようになりました。
これは、フィルムやセンサーに光が当たることで起こる物理的な反応に着目しているのですが、「跡が残る」ということに注目しているので、必ずしも光が介在しなくても写真作品になりうると考えています。
ただ、際限のない拡大解釈が可能なので、原本をかたどるという行為の先にある、これらのことを対象としています。
こうした視点で写真を扱っていると、カメラを使ったり使わなかったり、コピー機を使ったり、古典技法を使ってみたりと、さまざまなアプローチを並列に扱うようになりました。
ここで言う「記録体」は文字通りなのですが、物理的な記録、先ほどから述べている接触の跡を指します。それによって形を成している物体、といったところでしょうか。
それ自体が何かしらの跡であり、同時に記録として何かしらの情報を発している。もちろん、写真プリントもそうだと思うのですが、情報としての側面がどうしても強いので、もう少し手前にあるはずの「それ自体が何であるのか」が気になりました。
また、これは後付けではあるのですが、撮影に行っている場所は、何らかの要因で岩石が露出していて、おそらく危ないからという理由でカラーコーンやガードレールが置かれている。自然的な何かと人工的な何かがせめぎ合う場であり、動的な「記録体」としての場があらわれているのかもしれません。
ー 「記録体」としての場とは興味深い視点ですね。今回の展示作品は、写真の展示方法としてユニークで実験的でもあると思います。実際に自然や人工物として巨大なものを、なぜフィルムの実寸大の大きさに、しかも顕微鏡のスライドガラスのようなガラス板に写した、実験資料のような見た目の展示方法にされたのでしょうか。
物理的な接触の跡というキーワードをもとにしたとき、現場から何かを持ち帰るということを考えました。
そういう意味で、先に展示方法の話をすると、作品はそれぞれ、現場で採取したサンプルであるという意識が強いです。何かしらの現象のサンプルということです。
そういったことを意識しているため、資料を展示するという方法を考えました。とはいえ、それを過度にするつもりはないので、基本的にはホームセンターにある部材で構成しています。
「露頭」が思いのほか身近にあるということは述べましたが、その感覚から、展示を見てもらう距離もあまり離れすぎないような仕組みを心がけました。これはあくまで心的距離の話ですが、作品のサイズも結果として、寄って観てもらう大きさになりました。
なお、これらの作品が近年の新しい作品ということもあり、展示方法としても初めての試みとなりました。
また、フィルムの実寸大の作品についてですが、現場採取の生々しさが残っているものがコンタクトプリントであるように感じています。また、「接触の跡」という意味においても、実際にフィルムを印画紙の上に置いて露光するという点で、響き合うように思いました。
一方で、これは制作におけるジレンマでもあるのですが、作品のサイズにおいてさえ、何かに沿うように決めたので、そういった意味での自由度は制限されています。大きなサイズの作品を想定したときに、どのように歩み寄っていくのかを模索していかなければなりません。
ー それと、もう一つ、小さな和紙に印刷した作品について教えてください。
アーティストブック「imprint matters」を制作しているとき、コピーを重ねていく段階で、美しいと言えるかどうかわからないのですが、心に引っかかる、何とも言えない一回性の像がいくつもありました。
そのときは本にまとめることが優先でしたが、それを一枚の作品として表に出そうと思いました。コピーという行為の連鎖と、その結果としてあらわれる像もまた、一つの跡であることには変わりません。
その上で、何をその行為の対象としてコピーを重ねていくかを考えていると、アイスランドで撮影したものが思い浮かびました。
その作品は「cairn」として2020年に写真集にまとめたのですが、その後、アイスランドでの記憶と、写真として残る記録をテーマに「stratum」という作品へと発展したり、今でも立ち返る作品です。
また、「statatum」という作品では、アイスランドの記憶が薄れていく一方で、身体に重く残っていた体験の実感を作品として落とし込んだのですが、その感覚は薄れつつも今も残っていて、そこにつながっています。
「stratum」では、その曖昧だけれど確かな感覚を鉄板にUV印刷することで置き換えるという試みをしていました。それが今回は、和紙にコピー機を使ったトナー印刷となりました。
工程自体もある意味で軽くなっていて、和紙もコピー機で使えるような、手に取りやすいものを用いています。
絵柄はおそらく判別できないと思うのですが、アイスランドのキャンプサイトで自炊する際、周辺にあった石で組み上げた簡易的な風防です。それを、翌日出発する際に撮影していました。
そのときは、あまり意識的に撮影したわけではありませんでした。でも、今改めて見てみると、自分自身がそこにいたという「跡」でした。
ー 一枚の写真は、それだけで成立する場合もあれば、他の写真との距離や順序、壁や空間との関係によって初めて意味を持つ場合もあります。本展展示作品において、もう一つのシリーズともいえる、自然の造形を写し取った青焼きの作品について、この作品が意味するものと、制作方法、それ以外の展示作品との相関性について教えてください。
意味や相関性について言えば、これもやはり「物理的な接触の跡」ということです。
結果として、今回の展示では、さまざまな「跡」を並べるという構成となりましたが、この作品は特にそれを表している作品かもしれません。
去年の中之条ビエンナーレでは、薄いアルミ板を岩に直接押し当てることで、岩のかたちをかたどる立体作品を制作しました。立体にして初めて、作品の表面と裏面を意識したり、「写真=跡」という再解釈をするきっかけにもなったのですが、それらをさらに押し進めています。
制作方法としては、トレーシングペーパーにサイアノ溶液を塗布し、塗布した面を岩に直接押し当て、そのまま露光しています。
岩のかたちにできる限り沿うように押し当てることで、折り曲げられた紙はところどころ切れたり、有機的な岩のかたちにどうしても沿うことができない部分があったりしました。
また、岩の近くにあった草木が風に揺れることで紙の上に影を落としたりと、周辺環境で起きていた出来事も同時に記録されました。
意味についてもう少し考えてみたのですが、アイスランドや雲ノ平、そして露頭で目にした自然のかたちについて、それらを形成させた外的な作用について、いつも想像を膨らませていました。
想像することしかできなかった作用の可視化を試みています。
紙が岩のかたちに沿いながら、その周辺環境の明暗を記録することは、その岩が形成される時間の断片を見せてくれます。
ー 小林さんは、写真作品における技法的なチャレンジに加えて、印刷物=本に関してもデザイナーと協働したり、日頃からさまざまな実験をされています。「写真」という表現において、常日頃考えていることを教えてください。
大層なことは言えませんが、あまり写真の既成概念を気にしていないかもしれません。
写真は、どの工程においても、用意されたものの中から自由に選び取っていく行為だと思うので、その一つひとつを疑いながら、できるだけ他の可能性などを考えています。
その上で、綺麗なプリントを見たいと思いますし、たまたまできてしまったものも見てみたいと思っています。とはいえ、無制限で良いわけではないので、いつもその臨界点を探しています。そして、大前提として、作品ごとのテーマやキーワードは必ずあります。
そういう意味で言えば、本も、いわゆる写真集から実験的なアーティストブックまで制作してきましたが、写真の一つの支持体として本を考えています。
その作品自体の根幹を本というかたちに落とし込もうとしていますし、その結果として、本のかたち自体を問うこともあります。
その作業は、自分で運営しているbooks cairnでデザイナーとして関わっていただいている宮添浩司さんと、一番初めにつくった写真集「cairn」から続いています。
数年にわたって協働してもらっているからこそ、既存の枠組みをいったん外してみるという試みもできるようになったと思います。
具体的な話はまだ決まっていませんが、いくつか展示のお誘いを頂く中で、最近は作品サイズへの試みを考えています。
印画紙の大きさは決まっているので、そこに納めるのか、あるいは、別のかたちで大きさと向き合っていくのか。
その折り合いをつけるためにも、たくさんの露頭の現場へ行かなくてはいけないと思っています。
まとめ、インタビュー=加藤孝司 Takashi Kato
- テラススクエアフォトエキシビションVol.37「Sediments of Time」
- 住所: 千代田区神田錦町3-22 テラススクエア 1F エントランスロビー
- 会期:2026年5月25日(月)〜9月25日(金) / 8:00~20:00(最終日は19:00までとなります)
- 休館日: 土曜・日曜・祝日、入場無料
- 主催:テラススクエア | 協賛 住友商事 | 企画 加藤孝司、三浦哲生
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