建築と社会をパラレルに考える手法
ー 藤村さんに初めてインタビューさせていただいたのが、ちょうど10年前、2008年、初期の建築作品「BUILDING K」の事務所でした。
現在TOTOギャラリー・間で開催中の「藤村龍至展 ちのかたち展 建築的思考のプロトタイプとその応用」は、40代になった藤村さんにとって初の大きな展覧会だと思うのですが、まずはこちらについて教えてください。
個展としては、それこそ10年前の2008年に外苑前のプリズミックギャラリーで「設計のプロセス、プロセスの設計」を初めて開催させていただきましたが、「ちのかたち」展では私自身の仕事の原点に帰りつつも、次の展開をみていただく展示になります。
ー 「ちのかたち」というタイトルに込めた意味を教えてください。
英語では「The Form of Knowledge」、直訳すると「知識の形態」という意味になります。ひとつには「知識のかたち」を「かたち」にするということをあらわしています。
私自身、設計のスケールがこの10年くらいでだいぶ変わってきました。
最初は一対一に近い、テーブルを囲めるくらいのスケールでやっていたものが、公共の仕事を手がけさせていただくようになってからは、ワークショップ、展示、投票、委員会などというようにフォーマルで、さらに大きなコミュニケーションに拡大してきました。他方でそれに従い、建築のつくり方もだんだん変わってきました。
ワークショップや投票をするときに、最初は誰もが想像しやすい家のカタチ、例えば三角の屋根があるような誰もが想像しやすい記号のかたちに置き換えていましたが、次第にそれをジオメトリーや幾何学、図形の集合というような連続的なかたちに置き換えるようになりました。そのような知識のスケールの拡大や、形態の種類の変化があり、知識と形態の関係を一通り洗い直すようになりました。
そこからの発展形として個人から集団まで機械的なデータベースやシミュレーションを使うともっと大きなコミュニケーションが可能になります。さらにそれを深層学習(ディープラーニング)を使ってかたちに落とし込んでいくと、いわゆるAI的な設計ができていきます。そのように本展では、どこまで建築をめぐるコミュニケーションは拡大可能か、というこの10年間私がやってきたことを展示するという内容になります。
写真:提供 RFA
ー 建築から地域、公共というものに藤村さんのフィールドが広がっていったこの10年、ともいうことができると思うのですが、藤村さんにとってその流れは自然なものだったのでしょうか。
そうですね。その途中に「教育」もありました。
ゼロ年代、30歳そこそこのまだ若い建築家の個人設計事務所から、2010年に東洋大学に着任し、集団に対して教えるということを本格的にやりはじめました。そこで気づいたのは、学生が150人くらいいるとモチベーションの差がさまざまだということです。学生たちも最初こそは建築を目指して入学してくるのですが、だんだんと脱落しはじめます。そうすると真面目に建築に取り組んでいる一部の人間に対して、否定的になることがあります。
それをどうやったら変えることができるのか。建築に限らずスポーツでもそうなのですが、一握りのスターのみが評価されるスターシステムはある意味で必然ですが、まわりの人間がそれを叩く社会になってしまってはいけません。それは教育の現場にいると強く思います。
建築とは総合的なものなので、一部のスターだけが建築をしているわけではなく、社会として建築をやっています。そのような状況をどうやったらつくることができるか、その縮図としての教育の刷新のために、いくつかの実験をはじめました。たとえば評価においても先生が投票するだけではなく、学生にも参加してもらってその違いをみる、といったことなどさまざまな取り組みをしました。
ー それを始めた理由はどのようなことだったのでしょうか?
いわばそれが「社会」の縮図だと思ったからです。
公共建築をつくる際に建築家を選ぶときにもそれはいえて、学生たち自身がどうような作品が選ばれるかを関心をもってみる状態をつくることは、社会が建築を関心をもって選ぶ状況をつくることとパラレルだと思っていました。
そこでやったことが私のその後の公共建築の仕事である「鶴ヶ島プロジェクト」(2011-16)や「大宮駅東口プロジェクト」(2013-2016)「おとがわプロジェクト」(2015-)での仕事に応用され、実現につながっていきました。
写真:Takumi Ota
写真:Takumi Ota
都市や街をつくるときのパターン
ー 初期の住宅の仕事から、トークイベントの企画、大学での教育、公共やまちづくりの仕事までつながっているのですね。
そうですね。自分の中ではすこしずつ展開していき、連続しているものです。
加藤さんはご存知だと思いますが、2008年頃に友人たちと「ROUNDABOUT JOURNAL」という活動を行っていて、そこで新聞をつくって情報を発信するということをやっていました。その経験が教育やまちづくりに応用されていきました。
※ROUNDABOUT JOURNAL 1975年から1981年生まれの7名の建築家や編集者を同人として「議論の場を設計する」というコンセプトのもと編纂されたフリーペーパー。2007年に発行された創刊号のテーマは「1995年以後の建築」。2011年までに8号まで発行され、フリーペーパーを即日発行するというライブイベントも開催した。
写真:提供RFA
ー 初期の建築作品「BUILDING K」という高円寺にある集合住宅でも、合意形成という意味では同じことをされていたんですよね。
建築の設計という意味では「BUILDING K」において、複数の模型を原型に住民や施主の意見を取り込んで展開するということをやっていました。
そういった意味では変わらないのですが、それを見せる相手が目の前にいる人から、ワークショップや投票、最近はそれをさらに検索エンジンやディープラーニングを組みわせていって、より多くの人とのコミュニケーションに変わっていきました。初期の頃から建築を設計する基本的な構えは変わっていないのですが、入力する情報量がどんどん増えていきました。
写真:Takashi Kato
ー 専門家からマスに向き合う対象が広がっていったときに、伝え方も変わってくると思うのですがいかがでしょうか。
それは新聞や建築以外の大きな媒体への執筆、テレビ番組で建築や都市について語らせていただいたくようになって、揉まれていった部分もありました。
それと大学という、最初はほぼ高校生というような子どもたちに建築を伝えるには、まずゆっくりと大きな声で、開いた言葉でしゃべるというように鍛えられていきました。ただ、それも基本的には変わる部分と変わらない部分とがあって、例えば建築家の安藤忠雄さんは、誰に対しても同じように喋ると言っています。
それは学生であろうと官僚であろうと先生であろうと自分のところの所員であろうと同じように喋ると言っていて、その感じは面白いと思っています。
専門家だから、子供だからというのではなく、大切に思っていることは同じように語ればいいと私も思っています。他方で考えの根幹にあることを、あまり噛み砕いて話してしまうとクリエイティブではなくなっていきます。そのバランスは難しいような気がしています。
ー そこで大切になってくるのはどのようなことですか。
うまくパターンにするといいましょうか。オーストリアの建築家で都市計画家のクリストファー・アレグザンダーが、1977年に提唱した建築・都市計画に関する理論である「パターンランゲージ」が優れているのは、まさにあるパターンを教えているところです。
これはクリエイティブなあるパターンを用いてよりよいコミュニティや、まちづくりのルールをつくる際に、住まい手や地域住民が主体になりながら、建築家や都市計画家がその手助けをするというものです。
人は大事だからといって基礎ばかり教えられていても飽きてしまいます。設計もそうで、有名な作品をひたすらトレースすることも大事なのですが、それだけでは飽きてしまいます。一方、習うより慣れろ、といきなり放り出されてもわからない人には何が何やらわからず、格差が生まれる。その間にある「かた=パターン」の反復が教育としては大事な気がしています。
建築家として社会に関わるスタンス
ー そこではファシリテーターとなりつつも、建築家がどこまで噛み砕くかということが重要になってくるのですね。
例えば「林のような全体性」、「内部と外部の曖昧な関係性」という建築家がよく使う言葉は単語にすると簡単なのですが、何を言っているかわからないといわれます(笑)。
かといって晩年は政治家としても積極的に活動を展開した、 建築家の黒川紀章のように、あまりにわかりやすく喋りすぎるとどんどん単純になって、つまらなくなってしまいます。
私は現在41歳なのですが、建築家とは一般的にそのくらいの年齢になると、そのどちらかを選ばされるという状況があります。黒川紀章は開き直って、どんどんメジャーを目指していき、黒川と同世代の建築家の磯崎新さんは「都市からの撤退」といって、意図的に社会を切っていきました。
最近は私自身もそのどちらかを選んでいかなければいけない時期なのかなとは、なんとなく感じています。
ー 現時点では藤村さんはどちらに舵を切ろうとお考えなのでしょうか?
おそらく磯崎型でいくと思います。黒川型でいくと社会には知られていくとは思うのですが、私自身の原点を思い出すと建築家になることをスタートとしていますので、そこがブレてしまうと自分自身面白くなくなってしまいます。
当初の自分の夢や希望を考えると、あまり社会的になりすぎてしまうのも面白くないと思っているところです。
ー 藤村さんは「ROUNDABOUT JOURNAL」でどちらかといえば専門家に閉じた濃密な議論を展開していたイメージがあるのですが、近年、ソーシャルアーキテクト(社会的な建築家)と名乗っている理由を教えてください。
それは、建築家は社会において社会そのものの設計を手がける存在でありながら、世の中で社会から仕事を下請けする存在だと思われているのではないかという問題意識を持っているからです。
単に建築家と名乗ってもいいのですが、あえてソーシャルアーキテクトと名乗って社会的な存在としての建築家像をもう一度取り戻したいという思いもあります。
ですが、私自身がそもそもやろうとしているのは建築をつくることですので、そろそろ肩書としてのソーシャルアーキテクトからの撤退を考えているところです。でも、磯崎さんしかり、槇文彦さんしかり、そのあいだのなんともいえない立ち位置で振る舞うことは大事でもあるのですが。
写真:提供RFA
写真:提供RFA
ー 最近の藤村さんは、文字通り社会的な公共のお仕事も多くされています。多くの人の合意を取りつけ、集合知を取り入れて設計をすることは、人々に寄り添い設計をすることに繋がりますが、時にそれは陳腐化をもたらしてしまうこともあるかもしれません。
藤村さんの言葉で「大衆的でありながら、大衆的に流されないもの」という印象的な言葉があるのですが、それを可能にするものとはどのようなことだとお考えですか?
工学、テクノロジーをきちんと用いれば、「より多くの情報を得れば得るほど、よりよいものをつくる」という状態をつくることができます。
ですが、その使い方を間違えると大衆に流された、平均や標準というような陳腐なものになっていきます。私自身は、寛容さと同時に、多様性を維持したまま社会をつくることにチャレンジするべきだと思っています。
それを諦めてしまうと安易にひとつの方向に流されやすい大衆主義の社会になってしまいます。より多くの人が参加をすることで、より良いものができるといい切れる状態をつくれないと、そもそも民主主義社会としてはアウトなのではないでしょうか。
そう考えていくと建築も同じで、「厨房に客人を招いてはいけない」というような、ある種独善的な言い方をしたり、その逆に「みんなでつくるからいい」と開き直ったりしがちです。私としてはそのどちらにもいかないで、集団で緊張感をキープする方法を考えているところです。
建築家藤村龍至さんのお話はいかがだったでしょうか?後編では市民を巻き込んだ設計から、さらに匿名的なAIによる設計まであらたな試みを展開する現在について、さらに深くお話を伺います。
<後編に続く>
写真と文=加藤孝司
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