都市はそこで生きることで機能する(後編)
2019.8.22

2000年代後半からポートランドは新しいカルチャーの発信地として、今に続くさまざまなカルチャーを生み出してきた。暮らすこと、働くこと、遊ぶことをまとめて生きることというのであれば、都市はまさにそこで生きることで人々に活力を与え、都市も生き生きとして機能し始める。MEZZANINE編集長の吹田良平さんが指向するのもまさにそんな活気の溢れた都市という存在。吹田さんの言葉からこれからの都市に生きることの楽しみが浮かび上がってくる。

ー 巷ではポートランドをいち早く紹介されたことで吹田さんのことをご存知の方も多いと思うのですが、ポートランド以前の吹田さんの興味を教えてください。

都市の有り様を探求している僕にとっては、ポートランドはワンオブゼムにすぎません。もちろん、それは特別なワンオブゼムですけれど。同じように、台北の忠孝東路四段辺りも、パリのオデオン駅北側界隈も大好きです。テルアビブのスタートアップ事情も気になるし、ビル・ゲイツがやろうとしているアリゾナの都市開発も、アルファベットのトロント開発も気になってしょうがない。僕がこだわりたいのは都市の更新、都市の創造的試行錯誤なんです。学生時代の生物の実験で、 シャーレの中の細胞同士が飽和状態になって科学反応を終えたら死滅しましたよね。同じように都市も絶え間なく実験を繰り返し、相互作用を起こしてこそ都市たりえます。新結合が活発化しないと、その都市は終わるんです。MEZZANINEではそれを「アーバンチャレンジ・フォー・アーバン チェンジ」と言っていますが、そういった都市のダイナミックな営みを実感しながら、人に話を聞いてテキスト化、つまり自分化していくのが大好きなんです。

吹田良平氏インタビュー

ー そういった意味では東京はいかがですか?

一番気になります。なんといっても世界最大の3千7百万人の人が暮らす都市圏ですから、その可能性はすごいですよね。生産と消費という点では、いまだに消費中心のマインドセットのような気がしますが、それを乗り越えることができれば、成熟都市が爛熟都市に変わると思います。都市はもうレジャーの舞台ではなく、実験の舞台ですよね。神田、品川、浜町といったネイバーフッドがチェンジメイカーになればいいと思います。

ー そんな吹田さんがMEZZANINEを刊行した問題意識はどんなところにあったのでしょうか? 私たちのensemble magazineもそうですが、情報を伝えるだけではなく、神田という街から世界中に暮らす人たちにメッセージを伝えることが必要で、そのためのメディアだと思っています。だから印刷メディアはメッセージを伝える根源的なメディアだと思います。

都市と同時にプリントメディアが大好きなんです。僕らの世代は雑誌世代ですよね。死ぬほど雑誌を読み耽りませんでしたか? だから「都市」をテーマに「雑誌」をつくれたらもう死んでもいいと思ったんです。生牡蠣にサンセール、あ、嘘です。格好つけちゃいました。餃子にホッピーなんです(笑)。だから生業を聞かれた際には、「プレイスメーカーでプリントメーカーです」と低音で気取って答えられるように常に準備しています。これまでにうまく言えたことは2回くらいしかないのですが、本番でいつもズッコケルみたいな(笑)。

吹田良平氏インタビュー

ー MEZZANINEの編集方針を教えてください。

「アーバンチャレンジ・フォー・アーバン チェンジ」です。例えば、近い将来、世界人口の70%が都市に住むようになると言われています。想像を絶します。まず水が持ちません。森も持ちません。ですからとにかく都市はチェンジしていかなければならない。チェンジするためにはいろんなチャレンジを試す必要があります。そのチャレンジがいい方向なのか悪い方向なのかすぐには判断がつかないケースもあるでしょう。それこそ、皆で情報をシェアしてオープンイノベーションで改良していくべきだと思うんです。 そのきっかけになればというのがこの雑誌の使命です。それとこれからのプリントメディアは無色透明なままではいけないと思っています。 フェイクニュースは論外ですが、事実をありのままに伝えるだけというのでは、 速報性の高いデジタルメディアにはかなわない。中立性、客観性以上に、「私たちはこう思う。私たちの理想はこうだ」と主観を持って語っていく、共感を得ながらムーブメントを起こしていく姿勢が求められている気がします。それは都市でも基礎自治体でも一緒で、主体者たるものは、ファンがつけば逆にアンチもできるくらいのアイデンティティを持つ時代だと思っています。

吹田良平氏インタビュー dysk

ー 都市はもともと、そこに人間が積極的に関わっていくことで変化していく流動的なものなわけですよね。それが全体的にはいまでは何もかもが硬直していて、でもその変化の萌芽は東京という都市の中 の小さな場所に見え隠れしているのがいまかと思っています。

そうですね。いままでは東京は消費の聖地だったのですが、これからは生産の聖地になるべきだと思います。さまざまな場所でいろんなアイディアと出合う体験は貴重だし、それこそ都市の醍醐味っスよね。AIが雑事を巧みにこなしていく時代に、我々は何をテーマにどう思考し何を創造するのか。ソーシャルキャピタル以上にヒューマンキャピタルが試されている時代だと思います。ソーシャルキャピタルって、その結果として醸成されていくものでしょ。そのためにも世界中の都市で起こるユニークなチャレンシをMEZZANINEを通じて多くの人に紹介したいと思っています。もちろんポートランドもその一環です。

ー 吹田さんがそのように思うようになった背景はどのようなことだとお考えですか?

それは都市への憧れだと思います。僕は出身が青森だったのですが、子どもの頃は週末、親に街なかに連れていってもらうのが大好きでした。華やかなショーウィンドウやメインストリートの喧騒といった、人工の美の圧倒的な力、普段お目にかからない人たちや彼らがつくるバイブスに気分が上がりました。さらにいえば「群集」の存在を意識したり、無限に広がっているであろう自分が知りえない向こう側の世界観、つまり外の「社会」を実感することができました。もっといえば、そのなかに個人は埋没できるっていう匿名性とか、関係性の軽やかさとか、そうした都市がもつ「自由」さや大人社会への憧れがいまだにずっと続いているんです。橋を渡って吉原の地に足を踏み入れた的な。話していて分かりましたが、僕は自然の美より人工の美が好きなんッスね。ちなみに、その頃、流れていた脳内BGMはフランシス・レイとトワエモアです。ちなみに今だと迷うことなく坂本慎太郎さんです。

吹田良平氏インタビュー

ー ensemble magazineも歴史ある神田錦町というエリアで「この街をアーカイブする」ことをひとつのテーマに活動をしていますが、だからこそこれまでこの街が築いてきた歴史や伝統にすがっているだけではいけないと思っています。これまでの伝統を踏まえた上で、 この街の新しい歴史をつくる気概をもって、これまでにない編集部独自の視点で、この街の未来に繋がる新しい価値をつくり、新たな歴史を更新していかなければなりません。

それもまさにアーバンチャレンジですよね。スタンフォード大学のd スクールはご存知ですか?「ゼロイチ」開発が同校の出自なので、要は如何にイノべーションを起こすかということにしのぎを削っているのですが、そこのモットーが、「ラジカルコラボレーション」、つまり過激にコラボせよなんです。神田は歴史がありますから、新しい人種も含めて、異物を受け入れる度量が備わっていると思います。抽象的な話で恐縮ですが、今の神田のリソースを何と組み合わせると都市更新、つまりアーバンチェンジが起こるか。神田はかつて博報堂や住友商事の本拠地でしたよね。日本中の商社マンOB、アドマンOBに神田に結集していただき、企業横断の「ソーゴーショーシャ2.0」や「The 代理店2.0」を結成すると、今でいうところのアクセラレータやコンセントレータ以上の存在になると思うのですが。日本の高度成長を作ってくださった方々による、日本の再浮上に向けた最後のアーバンチャレンシとして。

ー これからの吹田さんの目標を教えてください。

MEZZANINEがコンスタントに10万部売れるようになって、世界中の都市に優秀な特派員を配置できるように頑張ることです(笑)。プライベートでは、ホッピー外1に対して、中(ナカ)4の所作と要領を会得することが目下の目標です。今はまだナカ3のレベルなんです。居酒屋ではすこぶる肩身が狭い。まだまだひよっこです。

写真と文=加藤孝司

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