写真における中心と周縁
Shota KONOとの対話
後編
2022.6.22

写真はそれ自体で自立的に存在しうるものであると同時に、それをみること、みられることと常に同等の関係を持っている。連続したシークエンスと突然切断されたイメージ。今回展示されている作品には映画や映像のようなシーンの連続が感じられる反面、明確な中心というものがある意味ぼやかされているように見える。最近あらゆるものの中心が失われていると思っていると作家はいう。写真における虚構と、否が応でもそこから滲み出る地続きになった現実……。展示作品の補助線となるShota KONOとの対話の後編をお届けする。

ー 恵比寿の「people」で個展もされましたよね。空間を活かした展示でとてもよかったです。

2019年でした。
個人的な日々の生活と社会とか今の時代の空気感というものを繋げて主観的に提示してみようと思いました。壁面や空間のガラス面越し、テーブルをつくってそこに写真を並べたり、その場を生かした箱庭のようなものを作りたかったのです。ガラス面越しの目のクローズアップは常に他者から見られているというメタファーで。女性の後ろ姿や顔にモザイクのかかったポートレイトなどはインターネット・SNS時代の匿名性や性差のことだったり。 価値観の変化からくる世の中の移り変わりのスピードが早すぎて戸惑いながら、ちょっと目を離すと別の世界に見えていたのでこれはもう異なる惑星だなということで「ある惑星 / A planet」というタイトルにしました。 テーブルの作品は空の写真を他の写真と混ぜて数枚並べましたが、現実として空を俯瞰して見るなんてことはないですよね。そのくらいの戸惑いををものすごく感じていた時期でもあったので、それらの意味合いを含めて制作しました。

ー 今回のテラススクエアの展示で考えたことを教えてください。

今回の展示も「ある惑星 / A planet」の続きとして繋がっています。ただ、お話をいただいてから漠然と脱写真的なことをやりたいなと思いついて。映画をよく観るのですが直近で観た映画に影響されて写真で映画的なものができないかと考えました。結局は写真なのですが。現在、写真のありようがいろいろと表にでてきて、メディアも含めてなんでもありにはなりましたが、一見ありきたりな様相をしていた方が時限爆弾的にアイロニカルなレイヤーを差し込めるので、必要がなければ今のところ僕はストレートな写真のままで使いたいという思いがあります。今回の展示では写真を並べてみて一回シークエンスをつくったものを、さらにあるフォーマットに変換して、それをさらに再編集することで、自分が作ったものをいじろうと思いました。

2019 Exhibition「ある惑星 / A planet」(people) より。

ー それはこれまでに撮影したものが中心ですか?

これまで撮影したものと、新しく撮ったもの両方あります。映画でいうと話法を変えるというか、完成へ辿るルートを変えるということをやりたいと思いました。

ー 話法を変えるとは見る角度を変えるということでもあるんですかね。

見る角度は変わらない気がしますが、完成に到達した時に見える風景が違うということを僕自身が期待をして。
これまでも仕事の都合で写真のレイアウト・ページネーションを考えることがあって、よくやる僕のやり方で、カメラやフィルムなどの違いによって生じる異なるフォーマットのまま例えば高さ揃えをしてページを組むと余りというかズレがでますよね?それが写真でいうプンクトゥム(現実に揺さぶりをかけるもの、偶然に生まれるもの)ではないけど似たようなものに感じていて、その予想外に出てくる余分なものが毎回新鮮で魅力を感じていました。
今回はそれを半ば意識的にやっているというところがあります。

ー 今回の作品は一枚のフレームの中に、すべてが写っているものと見切れているものが混在していて、ひとつの作品の中に中心もあれば周縁もあるように感じました。ですが全部写っているから中心というわけでもなく、見切れているから要素が足りないというわけでもなく、それぞれが等価になっているのが面白いと思いました。一枚の画面の中で視線が行き来する感じも新しい体験だと思いました。

白黒で一枚大きく出しているものは自分の中のナラティブがあって並べているものなのですが、まずはそれをシネマスコープサイズ(画面アスペクト比、12:5)で作った枠で順番通りに分断していきました。そうするとひとつの枠に対して、意識的ではない余りの部分が入ってきます。それを展示ではさらに並び変えたものが実際のテラススクエアでの展示になります。

ー なるほど。河野さんの物語の中で並べられたひとつのシークエンスを、映画の画面のスケールを複製したフレーム幅で切り取ることで、それぞれの写真とは関係のない隣り合うシーン同士が混ざり合う。さらにその組わせ自体が再構築され展示されている。

そうです。自分の中で意図しているところと、そうでないところが混在していて、構成を組む作業自体も楽しかったです。

ー 並び自体にストーリーがあるわけではなく?

はい。ありません。どれもが編集可能というか。だからむしろそれを見た人が何を感じるのかに興味があります。正しいことが嘘になったり、嘘だったことが真になったり,今の時代そういうことが有りになってしまった現実が一方にはあって。作品を「再編集」すること自体都合がよいことで、それが今の時代に漂う、都合のよさみたいなものと、はっきり言語化できないけど、リンクするものがあると思ってそこは意識してやっています。

この砂時計が意味するものとは。

ー あの白黒の大きな作品「Sequence」を参照しながら個々の作品をみるのも楽しいのですが、砂時計だけがどこにも見当たりません。あの砂時計にはどんな意味があるのですか?

そもそもシークエンスとは映像全体のタイムラインの中にある一つのまとまりのことなんですけど、写真を使って映画・映像的なことをやろうと思いついた時点で「時間」を作品に落とし込めたらいいなと考えていました。
なので、砂時計は言わばこの展示作品全体の象徴という役割を与えています。
都合上の話をすると、実は切り出した順番をシークエンスの最後のカットからスタートさせていて。
というのも、最初のカットからスタートさせると比率(12:5)の関係でフレーム右側が空白になってしまい、それでも構成上問題ないのですがなんとなく感覚的に違うなと思ったのでそうしました。
そうなると今度は12:5のフレーム左側に空白ができるのですが、よくDVDや初期のテレビゲームなどでソフトを読み込む際にローディングって表示が出ますよね?それに倣ってB0の大きなフレームから物語を読み込んで再生しているという意味合いですね。
それとよく見たらおかしな点もあって、時計の砂の流れ方を逆さまにしています。もちろん合成なのですが、それもやはり真実と虚偽、再編集性などの意味合いを含めています。

ー 写真がフェイクに使われる時代でもあり、それが嘆かわしいことでもあるのですが、でもそもそも写真自体がある種の「取り繕われた」ものだったのかもしれませんね。

絵画の補助から始まって、手元に残るということから身なりを整えたり、あるいは権威を誇示するためのツールとしてきた歴史があって、元々潜在性はあったのだと思います。当時はフェイクとまでは行かずとも、取り繕うことがここまで進化してきたってことなのでしょうか。資本主義の象徴とも言えますし。巷で言われてるようにその資本主義が限界なのか、最近あらゆるものの中心が失われていると思っていて、何を信じるかはそれぞれの自由にまかされていて、一方でまた新たな別の中心があらわれるのか、それは誰もわからない状況だと思っています。

2019 Exhibition「ある惑星 / A planet」(people) より。

ー いつも河野さんの写真を見ていて思っていたことをお聞きしてもいいですか?ファッションの写真でもそうですが、それはフィクションなのか、ノンフィクションなのか、いつ、どんなシチュエーションで撮っているのか不思議に思っていました。

どこかである虚構を作って撮影して、それをメディアにのせる。でも僕はそこに現実との「地続き」は残したいんです。普段の何気ない撮影も旅先での記念撮影やファッション撮影、他の仕事も日常と地続きの出来事ですよね。

ー 地続き……。

だからこそおっしゃるような、どちらともつかない「中間」みたいなものが写っていてそう思われるのかもしれません。結局いくらドキュメント風に撮ってもそれはどこまでいってもフィクションなんです。では、自分は何を撮っているのかといえば、フィクションの中のドキュメントを撮っているという考えに至りました。ただ、最近また新たに思ったことはフィクションの方が事実に近づけることもあり得るのかなと。なので僕の中での「脱写真」として意識をフィクションにシフトして制作してみたいと思うようになっています。写っているものは事実でも、編集して並びを変えることでフィクションに” なってしまう ”特性をそのまま引き受けるという感じで。その考えが今回の展示で映画・映像的なものの引用と自然に結びついたのかもしれません。事実とフィクションが入れ子構造になっていますから。

テラススクエア展示風景。
photo:Takashi Kato

ー 今、写真をいろいろと加工する作品が増えているけれど、先ほどのお話にもあったように河野さんの作品はみえがかり上はストレートなんだけど、表現のレイヤーのようなものが何層にもなっているように感じていて、それが見る楽しさに繋がっていると思っています。

そう感じてくださると嬉しいですね。実際、そのレイヤーは目には見えていないものなので 僕自身は写真を見る人にどう伝わってるのかはわかりません。それでも目の前にある写真に 対して「何か」を感じとってもらえるのは救いです。自分自身もそのレイヤーの中でどこが出口かわからず迷子になっていますから(笑)。

Shota KONO
B 1984
2019 Exhibition「ある惑星 / A planet」(people)
https://shotakono.net

テキスト=加藤孝司 Takashi Kato

  • テラススクエアフォトエキシビションVol.23 事実が存在し、単に潜在性または可能性だけではない
    It does not include merely potential or possibility, it is actual
  • 住所: 千代田区神田錦町3-22 テラススクエア 1F エントランスロビー
  • 開催日時: 2022年5月23日(月)〜2022年8月19日(金) / 8:00~20:00(最終日は18:30までとなります)
  • 休館日: 土曜・日曜・祝日・年末年始 入場無料
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