記憶と忘却の矛先
引網真吾インタビュー
2026.8.28

光と影のあいだで、私たちは何を「見ている」のだろうか。写真家・引網真吾氏の作品に向き合うとき、そこに立ち現れるのは単なる風景や記録ではない。学生時代のイタリアでの絵画体験、そして静寂な木々、夢のようなものが写しだす何か。その表現の根底には、イメージの深淵に触れようとする、探究者のような眼差しが存在する。本作『Water Jug of Lethe』に込められたのは、美学や哲学を軽やかに横断しながら紡ぎ出された、極めて私的で審美的な世界観だ。「記憶」と「忘却」、「写すこと」と「残すこと」。矛盾する概念の境界線で思索を重ねる引網氏の言葉から、作品が解き放つ静謐な気付きと、私たちがまだ見ぬ「知覚の美学」をひもとく。

境界線としての「言葉」

ー 引網さんと「写真」との出合いを教えてください。

私にとっての「写真」との最初の出会いは、今でも鮮明に覚えています。学生の頃、2週間ほどイタリアへ旅行した時のことでした。当時、絵画を勉強していた私は、机上で学んだことを自身の目で体験するため、可能な限り教会や美術館を巡っていました。

旅の後半、ローマのカピトリーノ美術館(Musei Capitolini)で目にしたカラヴァッジョの『洗礼者ヨハネ(John the Baptist / Youth with a Ram)』の肖像から、どうしてか目を離すことができなくなったのです。

理由もわからず、ただその絵と対峙する。不可知の答えを見出そうとするわけでもなく、ただ「目を離せなくなる」というその状態と向き合い続けました。その言葉にできない体験は、主題や描写されたヨハネの姿から受ける印象とは相反する、「何か絶対的な崇高さ」さえ感じたと記憶しています。

これが、私の写真の定義である“目に映る以上の「何か」の存在を捉える”という事象に、初めて触れた体験でした。

写真を表現媒体として捉え始めたのは、それから数年を経て、上田義彦氏の写真集『Quinault』(1993年)を見た時です。ローマで体験した「大いなる何か」の存在が、再び私の脳裏に大きな棍棒をもって現れました。そこから数々の紆余曲折を経て、近年ようやく自身を「写真家」と呼ぶことに違和感がなくなり、現在に至ります。

ー 今回の展示作品について、事前に『Water Jug of Lethe』というタイトルをいただきました。このタイトルに込めた意図を教えてください。

「偶然が必然であるかのように、過程と結果の相関性に全く無関係なことなど存在しない」――そうした物理経験主義的な思考の企てに対するアイロニーとして、ギリシャ神話に登場する冥界の川の名を借り、『レーテの水差し(Water Jug of Lethe)』と名付けました。

言葉は、物象の有無に関わらず境界線を引くものです。タイトルに神話の概念を引用することで、言葉が織りなす「概念の戯れ=抽象化」という効力を作品に付与し、鑑賞する方にそれぞれの「大いなる何か」を想起させたいと考えました。展示作品に添えた散文に織り込んだように、私自身が体験した実感を鑑賞者と共有・体現するために、そこに至る導線を一度真っ新な状態へ戻すことを意図したタイトルです。

アナロジーとしての「記憶」と「忘却」

ー 一方で、作品を説明される際に「記憶」や「真理」を意味する『Aletheia(アレーティア)』という、哲学的には作品タイトルにもある「Lethe(忘却)」と対になる概念も引き合いに出されています。写真は曖昧な記憶を固定するものでもありますが、引網さんにとって「記憶」と「忘却」という対の概念はどのような意味を持っているのでしょうか。

人は誰もが日常生活の体験の中に、私的な詩のように言語化された情念を含んでいると考えています。そうした詩的表現は、他者の想像の領域に対しても、ある時は感傷的で燦然と、またある時は曖昧に働きかけています。しかし実際には、受け手が持つ時間、環境、心情、体調といった様々な変数が存在し、一つとして固定できるものは存在しません。

「記憶」と「忘却」は、私の写真にとっての意味というよりも、私が求めた(あるいは達成する)「大いなる何か=私の真理」を伝えるためのメタファーです。現在の私が持つ語彙で表現(exhibit)する際、この対照概念が引き起こす「矛盾」や一種の緊張感を用いて鑑賞者と共有しようとしています。

簡略化して言えば、「水をヒタヒタ含んだスポンジはそれ以上水を吸わない」という比喩と同じです。写真に対する「こうあるべき」という事前知識や固定観念に照らし合わせる行為を一度止めてもらうために、選んだ対の概念になります。

ー 引網さんの作品は、写真に写っていないものをも想起させます。本来写真には残らない「記憶」や「忘却」といった存在は、引網さんにとってどのようなものなのでしょうか。

私自身が鑑賞者として大切にしていることでもあるのですが、まさに「見えたままの言葉にできない姿(=何か)」を投影してほしいのです。そして「見ることの創造」を感じてほしいと考えています。

その「何か」は、視覚を通したアニメーションのコマ間に脳が認識を与える補完作用のような、言語化されない反射的な知覚作用に似ています。「写真は曖昧さを固定し、客観的な対象として明確にするものだ」という正論に対し、パラドックス的に写真は「曖昧さを残すものだ」という主張もあります。主観や視点によって見たいように映し出すからこそ、鑑賞者に残し、託すことに意図の焦点を当てています。

そうして想起される「姿=何か」を共に分かち合えた時に広がる世界(写真に写っていないもの)こそが、私が体験した「大いなる何か」の存在領域ではないかと思うのです。だからこそ表現者として、「写真に残らないもの」を作品に落とし込むことを大切にしています。

矛盾する概念の相克

ー 現在は南紀(和歌山県)に拠点を置いて制作されています。豊かな自然と神秘的な神聖さを併せ持つあの場所で生活し、制作することの意味を教えてください。

その決断には多くの要因が絡んでいるので一つに絞るのは難しくもありますが、あえて言うなら「水」ですね。南紀・白浜にお越しの際は、ぜひ一度「水」に意識を向けていただけたら嬉しいです。

ー 今回の作品にも神聖な泉を写した作品が含まれています。確かに引網さんのおっしゃる「水」とは異なるかもしれませんが、個人的に南紀といえば、海岸の岩場に打ちつける白波、という水のイメージがあります。今回の展示では「自然」「人間=生命」「静物」という、表現も主題も異なる3点の作品を展示していただきました。それぞれどのような作品なのでしょうか。

3点とも、社会に対して新たな「気付き」へと導く記号であり、想起された「何か」を確かめるタイトルであり、そこから「何か」を感じ取る行為への導きとなれば幸いです。

ー 作品のサイズも、この会場でこれまで展示されたものの中で最大規模です。この大きさにされた理由や、写真におけるサイズへのこだわりについて教えてください。

展示空間というのは、作品単体では成し得ない体験を提供し、見る側の状態を整えるために非常に重要な要素だと考えています。その事実と最大限に共鳴するよう思考した結果が今回のサイズになりました。正直なところ、「もう二回りほど大きくても良かったかもしれない」という思いもあります(笑)。

ー 充分迫力のある作品でした。時の経過によって、写真の意味や価値が変わっていく感覚はありますか? 当時は重要だと思わなかった一枚が時を経てかけがえのないものになったり、逆に意味を失ったりすることについて、どのように捉えられていますか。

私にとって作品とは、科学的な根拠の上に成り立つものではなく、形而上にある感覚的根拠に存在するものです。その前提で言えば、「味わえるようになる」という感覚は、時と共に失っていく感覚と同等にあると思います。

時間の経過に伴う文脈によって、ある写真が大切に思えたり色褪せて見えたりするのは、感覚というオーケストラの指揮者が、ある基準の中で熟したのか老いたのかは別として、「現時点において指揮棒の振り方が変化した」という事実の現れなのだと思います。

ー お話を伺っていると、言葉も写真捉える世界もとても思索的で、詩的な美意識を感じます。もし写真を撮っていなかったとしたら、今の世界をどのように捉え、表現していたと思いますか?

今と同じように、道端に生える草や日々の風景の微細な違いに目を向け、問いかけ、自分なりの解釈を深めることを続けているのだと思います。

ー 最後に、引網さんが現在興味を持っていることについて教えてください。

私は「世の中は千差万別である」と諦めていると同時に、深いところでは「皆つながっている」と信じてもいます。この境界線をどのように超えるのか。

理論と感情の間に境界線があるように、油と水のような関係を解き放つものは何なのか。「境界線があると考えないこと自体が答えなのではないか」と考えたり、「白と黒に分けずにグレーでいいじゃないかと言いつつ、白と黒という対がないとグレーは存在できないよね」というような矛盾に、常に興味を抱いています。

まとめ、インタビュー=加藤孝司 Takashi Kato

  • テラススクエアフォトエキシビションVol.37「Sediments of Time」
  • 住所: 千代田区神田錦町3-22 テラススクエア 1F エントランスロビー
  • 会期:2026年5月25日(月)〜9月25日(金) / 8:00~20:00(最終日は19:00までとなります)
  • 休館日: 土曜・日曜・祝日、入場無料
  • 主催:テラススクエア | 協賛 住友商事 | 企画 加藤孝司、三浦哲生
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