先日来、サブライムに関して考えていた時から、美というものと、死=タナトスについて関連付けて考えるようになり、その様な考察から、必然的にサブライムの概念について考えるようになった。
サブライムとは、『崇高なるもの』、の意であり、哲学者カントの言葉に従うのならば、サブライムはタナトスと関連付けて考える事が必然であるようである。
崇高なるものの力は模造物には宿らず、そもそも人間が意図して創出為うるものではないものの定義である。
サブライムとはただ単純に神々しいものの意ではなく、時に人を畏怖させ、たじろがせるたぐいの、潜在的に内在された人間にとっての恐怖に近い概念を含んでいる。
潜在的にその様な様相を含んでいるので、それはまた無意識を引き合に出して語る事も可能となる。ある種の芸術家たちにとってそれらの概念と向き合う事は作品創出のための一つのテーゼとなる。
18世紀、美術の世界では風景を主役に据えて画を描くことは極めて普通のことであり、それは美と関連付けて自然が対置されることによって成り立つ技法であり、人手の及ばないものとしての自然、いわゆるロマン派などによって確立された風景画は、そのように自然をサブライム=崇高なるものとして位置付け、普遍なるものとして扱った。
そのように自然がアイコンとして捉えられるとき、そこには人の手による作為的な意図が生まれてしまう。しかし、この場合、自然と対峙しているものが人間の主観である以上、決して捉えきる事のないものとしての自然が恐怖を与える、ということは頷ける事柄ではあるが。
自然と同じように死も決して人が捕らえきることの出来ない、未知なるものとしてあるからこそ人に恐怖を与える要素を含むのであり、決して捉え切れない、という事を以ってして人間の範疇から離れているものである、とも言えるのだが、そのような意味合いを含みつつ、死生観は、おのずから崇高さを帯びてくる。
またしても、そこには人が決して捉え切れない謎としての恐怖が潜んでいるのだが。
写真=石田真澄 Masumi Ishida
テキスト=加藤孝司 Takashi Kato
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