「平凡な夢」
長田果純インタビュー  
2022.5.17

テラススクエアフォトエキシビションvol.16で「漂流する朝」を発表した写真家・長田果純の展示が、観光客の賑わいも戻った浅草にもほど近い東京台東区千束にあるギャラリー、es quart galerieにて5月21日から開催される。今回の展示となる「平凡な夢」は2019年のAlt_Mediumでの発表以来長田が取り組むライフワーク的作品群。会場となるes quart galerieでの写真展は昨年末に行われたトヤマタクロウ「DEVENIR」展以来のものとなる。退廃的ともいえるインダストリアルな雰囲気が漂う空間の中での長田の展示構成も見逃せない。今回は2020年7月のテラススクエアでの展示以降、どのようなことを考えていたのか、その作品の背景とともにインタビューを行った。

ー 世界的な感染症によるパンデミックのさなかである、2020年7月にテラススクエアで「漂流する朝」を展示していただきましたが、この2年の間どのようなことをされていましたか?

感染症のパンデミック前と比べると、実はそこまで大きな変化はなく過ごしていました。この2年を振り返ると、新作をつくることよりは「平凡な夢」という作品をきちんと残さなければ、とずっと頭の片隅で考えていました。ちょうどその頃からテレビやニュースを見るのをやめたこともあり、どこか別の世界で起きている現象のようにも感じましたが、元々出不精なのでほとんど人に会わずに過ごすことに関してもあまり気になることはありませんでした。
仕事と自己表現の両方で写真を続けていくこと、自分の生活のこととのバランスなど、考える時間は増えていたと思いますし、気持ちは内側へ向かっていましたが、大きく落ち込むことはありませんでした。

ー 「平凡な夢」は2019年12月に高田馬場のギャラリーAlt_Mediumで行った展示と同名タイトルとなり、パンデミックのさなかにあっても(渦中であるからなおさら)「平凡な夢」というコンセプトは写真家である長田さんにとっての重要なモチーフであることが想像されます。「平凡な夢」という作品群が生まれた背景と、今なお模索し続けるその思いについて教えてください。

実際に私が経験したとある期間が、まるで現実味のない平凡な夢のような日々だったことから「平凡な夢」と名付けました。その時に撮影していた写真で構成されているので、特にコンセプトなどを設けて撮影することはしませんでした。ですが悲劇であったのにも関わらず、過ぎ去ってから見返してみると、その期間に撮った写真に美しさを感じ、作品としてひとつにまとめようと考えました。普段から写真を見返しては、自身の思考や感情を読み取るようなことをしていましたが、制作するために模索するというよりは、書いた日記を読み返すような行為にとてもよく似ていると思っていて、その日記としての意味を持った写真たちを、いろんな人たちに見てもらうことでやっと作品になれる、という感覚がありました。なので、この子たちが私だけの日記から作品になるために何が必要なのか、なるべく作らず嘘のないように、どういう形で発表するべきなのかをずっと考えていました。

ー 2019年の展示と同名の展示とはなりますが、継続して同テーマに向き合うことに関して教えてください。

作家である以前にひとりの人間である、その人間が写真を撮っているだけ、というのが強く自分の中にあって、写真を作品と呼ぶことや、作品制作するということも未だに違和感を持っています。そうするとなると何故作品として発表する必要があるのか?という点が浮かび上がってくると思います。
これは作品の話とは少しずれてしまうのですが、よく自分が死んだ後のことについて考えることがあります。そのときに何が残るのか、自分が生きていたことが死んだ後も足跡として続いていくのか、など様々なことに思考を巡らしています。その中で残って欲しいのは写真そのものや自分の功績より、写真を見た人たちが受け取ったものがその人たちの中で続いていく方が単純に嬉しいなと思いました。
これは写真を始めたときからずっと思っていることなのですが、“写真は自分と社会を繋ぐ唯一のもの”なので、写真がなければ私は社会にすら出られていないし、誰とも関わりを持てていなかっただろうなと思います。

ー 「平凡な夢」は今回写真集としてもまとめられました。この3年間で心境や写真としてのアウトプットにおける新たな気づきや実践について教えてください。

写真は時間の経過や自分の心情と共に見え方が変化していくものだと思っています。日記のように自己完結していたことが、誰かに見られることでまたその写真のもつ意味が変わり、自分のものから誰かのものになっていくのではないか。写真で伝えたいことがあるわけではありませんが、そうやってバトンを渡すように自分の写真が誰かの元へ渡っていくこと、繋がっていって欲しいと、この3年の間は特に考えていたかもしれません。その結果、2019年の展示で終わらせずにこれは写真集としてまとめるべきだと思いました。
感染症のパンデミックによる自粛期間中、生活や仕事が止まってしまい、知らず知らずのうちに心が疲弊したり、まるで出口の見えない迷路に立たされたような感覚になっていた人が周りでも多くいました。私も「一体いつまで続くのだろう」という漠然とした不安に襲われましたが、そのときに、状況は違えど平凡な夢の渦中にいたときと少し似たような精神状態になっている…と感じました。自分だけの経験だったはずの“平凡な夢”でしたが、もしかしたらこの状況下で同じような感覚になっている人が多いのではないか?と思い、最初の発表から時間が経っていましたが、それでも今このタイミングで写真集を作ることに意味があるのかもしれない、という確信が持てました。

ー 写真に限らず、真剣に何かに向き合うことは心の支えや救いにもなると思います。長田さんにとって写真を撮るということはどのようなことを意味するのでしょうか?

救いであり、社会や他者との繋がりのすべてです。

ー es quart galerieでの展示は空間の特性を活かしながら一部インスタレーション形式のものになるそうですが、そこで意図したものと伝えようと思ったことを教えてください。

写真集を作りはじめたタイミングで展示をしないか、とお誘いをいただきました。新作と呼べるものもなく、やるのであれば写真集の発売に合わせて「平凡な夢」の展示をもう一度開催する、ということだなと思いました。時間も経っていますし、ホワイトキューブではないes quart galerieの空間であれば、たとえ同じ写真であったとしても2019年の時とはまったく違うものに見えるだろうと思いました。
とても雰囲気のある空間なので、逆に写真が飲まれてしまいそうというか、集中して写真を見てもらえるのだろうかという不安もありましたが、「空間を活かしてインスタレーション要素を入れるのはどうか」という助言もあり、前回と同じものという考えを一旦なくして展示構成などを考えました。

ー 展示方法に関して特にこだわったのはどんなところですか?

今回は展示単体ではなく写真集の方がメインにあるので、その内容やステートメントと重なるような展示にしたいと思い、ギャラリー内に“一人暮らしの自分の部屋”を作ろうと思いました。「平凡な夢」の渦中にいた自分の心理状態や生活の一部として、「夢か現実か分からなくなる」、「膜に包まれている感覚になる」、「自分のことをもう一人の自分が見ているような感覚」などを再現しようと思っています。
写真をしっかりと見てもらいたいという気持ちがあるので、インスタレーションは足しすぎず、「平凡な夢」の世界を広げるひとつの要素として考えています。

ー 14歳で写真をはじめた頃から考えると、写真をなりわいとするようになった現在の姿は、決して「平凡な夢」の実現ではなかったと思います。長田さんの写真家としての現在地と、これからのどんなふうに実践していきたいか、その予想図を教えてください。

とにかく写真を通じていろんな物や人と繋がっていきたいです。たとえ仕事でもプライベートであっても、真面目にじっくりとゆっくりと、スローペースで良いので、それを止めたくありません。目標は死ぬまで写真を“続けること”なので、そのためにはもっと外にも気持ちを向けなければ…と思っています。あと、平凡な夢が終わったら愛猫の写真集を作りたいと思っています。

長田果純
1991年静岡県生まれ。東京在住の写真家。14歳の頃から写真を撮り始め、現在はポートレート撮影やファッション、アーティスト写真や映画スチールなど、活動は多岐にわたる。個展に、「透明になることは二度とない」2014年(下北沢アートスペース / 東京)、「いまは夜のつづき」2016年(三鷹ユメノギャラリー / 東京)、「平凡な夢」2019年(Alt_Medium/東京)、「漂流する朝」2020年(テラススクエア/東京) がある。
osadakasumi.com

テキスト=加藤孝司 Takashi Kato

  • 長田果純「平凡な夢」
  • 場所:es quart  東京都台東区千束3-4-3 千束河合荘3F
  • 開催日時: 2022年5月21日(土)〜2022年6月5日(日)  / 12:00~19:00
  • 休館日: 月曜・木曜 入場無料
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