トップアスリートの精神性
ー 為末さん自身、オリンピック三大会連続出場など、身体の限界まで現役として走り続けてこられましたがそれを支えた精神性とはどのようなものだったのでしょうか?
まずアスリートの心の持ちようというのは、その時々によって変化するものです。小学生の頃の「ヒーローってかっこいい」というような純粋な憧れが、ある時期から実利が伴うようになってきます。例えば、スポーツを頑張れば大学に進学できる、就職ができるということであったり、人によっては名誉や地位、金銭的なものが目的になることもあります。さらにそれを一定量超えると、そもそもなぜ自分はこれをやっているのかと思うようになるわけです。僕自身ほかのアスリートたちと少し異なることがあるとすれば、現役時代の途中から競技以外のことをやりたいと真剣に思い始めたことです。多くのアスリートは競技に意識が向かうのは当然のことですが、僕の場合は競技の技を極めるのと同時にそれ以外の人生をみていたところがありました。
ー なぜそのような思考になったのでしょうか?
競技は子供の頃から長年関わってきたことですので、あらたに一から始める他のことに比べてその本質に触れる可能性が高いものでしたので、それを極めたいという思いは人一倍強くありました。それを支えたのは、アスリートとして自分がどこまで行けるのかを自分自身が見てみたいという思いでした。
ー 為末さんにとってはハードル競技がそれだったのですね。
はい。ですが始めのところは、他の競技でも、スポーツでなくてもなんでも良かったんだと思います。とにかく真髄に触れたいという思いが強くありました。
ー 先程のお話にもありましたが、競技以外に目を向けるようになったのはいつの頃からでしょうか?
学生時代にハードルを始めて23歳で大阪ガスという会社に入りました。結局1年で辞めてしまうのですが、その時に仕事ってなんなのだろうと考えたことがありました。社会人になっても競技をやっていると会社のことに関わることはあまりなかったのですが、同期が海外出張に行くのをみたり、競技者人生はわずかですので、自分もいずれは会社の仕事をするようになるんだとそのときは漠然と考えていました。それから徐々に将来自分が仕事をするならどんなことをするんだろうと、競技を続けながらも真剣に考えるようになりました。
ー プロになってからはエージェントに所属し、個人で海外遠征などにチャレンジすることも増えたそうですね。
プロになると社会人のとき以上に競技以外のことに触れる機会が増えるようになるのですが、僕の場合はとくに人と会う仕事が多くなりました。18歳まで生まれ故郷の広島にいて、アスリートのステージが上がるに従い日本にだけいてはだめだと思うようになり、自分から世界に出ていくようになりました。エージェントに所属をしていると、どこそこで試合があるから行ってとスケジュールをはめこまれるわけです。ですが今はわかりませんが、サッカーなどの人気スポーツとくらべて陸上の場合それほど賞金も多くなくエージェントが細かく面倒をみてくれるわけではありませんでした。自分で準備することもたくさんあり苦労もありましたが、現在の仕事に通じる海外に行かなければみえなかったこともあり、その環境は自分には合っていたと思います。
ー 現役時代にはオリンピック三大会連続出場などいつもメディアで拝見していたのですが、競技を続ける上でオリンピックは大きなモチベーションになったのでしょうか?
結局叶わなかったのですが、オリンピックでメダルを獲ることは選手を続ける目標であり、大きなモチベーションにもなりました。
ー それを支えたものはなんだったのでしょうか?
それを支えたのはモチベーションと同時に、先程のお話にも通じるのですが「指向性」がある気がしています。モチベーションは選手において日々変化していくものです。僕が考える指向性というものは、簡単にいえばその人が生まれもっているもののようなものです。僕自身、とにかく見たい知りたいという探究心が強く、それが陸上競技においては、世界レベルに到達したい、ということでした。そもそも陸上選手においては、ひたすら走りたいという人と、自分が今何をしているのかを理解したいと思う人の2種類あると思っています。前者の場合は自分であれこれ考えるよりも、理論的なことはコーチに丸投げして、自分は実際の競技に集中したいという人です。
ー 為末さんはプロに転向後はコーチにつかなかったとお聞きしましたがそれはなぜでしょうか?
僕は「理解すること」に興味があり、二本の脚がついた物体が速く走るということがどのようなことかということを知りたいと思っていました。先程コーチにつく人は競技に集中したいからなのではと言いましたが、だから僕はコーチにつかなかったのかなと思っています。
ー そもそもコーチにつかないトップアスリートは多いものなのですか?
いることはいるのですが、高いレベルになるほど珍しくなると思います。僕のようにまったくいなかったというのは、当時は確かに珍しかったと思います。
ー それはコーチにつかないことのリスクよりも、その可能性にかけたということでしょうか?
モチベーションと指向性の話でいえば、勝負に優位か不利かといえば、コーチにつかないことはもしかしたら不利の方が可能性としては大きかったと思います。どんなことでもそうなのかもしれませんが、やはり第三者の立場からフィードバックを受けることは重要ですし、そういった意味では自分一人で経験できることには限りがあります。ーチには何十年という蓄積があり、経験則の量が違います。それはアスリートの短い競技人生においてはものすごくプラスになるんです。僕の場合は理解したということが現役と続けるうえでも深いモチベーションになっていましたので、理由を知らずに勝つことは意味がないわけです。ですので、勝つためだけに競技をしていたとしたらコーチをつけていたかもしれませんね。
ー そのやり方は他の選手にも勧めますか?
いや、勧めませんね(笑)。僕が好調な時にはコーチをつけないことが一部では流行ったり、理論的な話として実際にそのように言われたこともあった。ですが、何を求めるかの違いもあり、それは一概には言えないことだと思います。でもスポーツ選手にとって最大の課題は競技人生が短いということです。陸上の場合、ピークは5年程度といわれています。それを考えるとコーチをつけた方が効率はいいのではないかと思います。
予期せぬ体験が人を豊かにする
ー 引退後にはコミュニティやまちづくりなどスポーツ以外のことにも関わられていますが、その思いを支えているのはどのようなことでしょうか?
人より旺盛な好奇心だと思います。それから自分の専門領域でないほうが興奮するということもあると思います。正確にいうとそれまでできなかったことができるようになったり、知らないことを知ることができるのが自分にとって楽しいことなのです。それで結果的にやることの幅が広くなっているのだと思います。
ー プロのスポーツ選手を経験した為末さんにしかできないことも必然的に多くなってくるのではないでしょうか?
そうですね。たくさんのことに幅広く関わることによるメリットがあるとしたら「ブリッジ」ができることだと思います。こっちで起こっていることを、別のところでつなげたり、ここで起こっていることは別の分野で起こっているイノベーションが理由になっていると感じることができるようになります。 例えばマーケティングに関わる仕事をすることで、消費者の分析に近い考え方をスポーツのコーチングに応用することが可能になるかもしれません。正しいことかは別として横断的だからこそ考えられることってあると思うんです。 それともうひとつがセレンディピティというか、予期しない何かに人は大きな影響を受けるのですが、合理化されればされるほどその「気づき」から遠ざかる傾向にあります。目的に到達するためには一見寄り道にみえることにもより多くの気づきがあると思いますし、今はそこに価値を求める人が増えていると思います。そのためには関係のないものを排除するのではなく、それをいかに組み込んでいくのか。より豊かに生きていくためには、それがこれから重要になってくるのではないでしょうか。
ー ディレクターをされた「アスリート展」(2017年6月4日まで開催中)は、超人としてアスリートではなく、普通の人の延長上にあるアスリート像を描いていて、とても興味深かったのですが、ここではどのようなアスリート像を描こうとされていたのか、アンサンブルの読者のために今一度教えてください。
一番意識をしたのは本当の驚きは当たり前なところにあるということでした。例えばマイケル・ジョーダンのダンクシュートはもちろん凄いことなのですが、それ以上にわれわれ人間が紙コップを持つときに、それを紙だと認識して潰さずに持つことのほうが凄いことなんじゃないかと思うわけです。これがロボットであれば紙コップを前にして、柔らかいものなのか固いものなのか、その前で少し考えてから、圧と重さをコントロールするはずです。最初に考えていた、われわれはなぜ身体をこれほどまでに巧妙に扱うことができるのかというところに展示を結びつけることができれば、新しいアスリート像を提示できると思い、展示構成を考えていきました。
ー 「アスリート展」を拝見して特に新鮮だったのは、トップアスリートと言われる人は超人には違いがないのですが、為末さんがおっしゃったような日常の感覚を研ぎ澄ませた先にあるアスリート性を展覧会全体を通じて提示していることでした。
本展に関わることでそのことをあらためて考えることができたのはとても良かったと思っています。僕自身人間の思考が変わるプロセスに興味があるのですが、これまで活字や研究以外のプロセスを僕は知りませんでした。「アスリート展」にはアーティストやさまざまな分野のクリエイターが参加しています。彼らが見たり体験すことができる展示を手がけているのですが、活字ではない方法で表現する人たちのやり方を間近で見られたことはものすごく新鮮で刺激になりました。
ー アスリートがまちを見る視点に僕は興味があるのです、「アスリートとまち」といったときにどのようなことをイメージされますか?
そこにはいくつか階層があると思います。身体性の強化という点では有酸素系の場合には2000メートル超えの高地に合宿地があったり、アスリートが集まりやすいまちというのは存在すると思います。陸上スポーツだったら競技場、サーフィンであれば海、と特定の外的要素が必要になるでしょう。かたや一歩引いてすべての人の「アスリート性」という観点からみれば、何か特定の競技をするために適した環境に設えられた場所では、むしろアスリート性は育ちにくいのではないかと思っています。例えば品川駅であれば、電車を降りたら考え事をしていてもビルの中に入っていくことができるように空間が設計されています。そこでは自分で考える必要はありません。
ー たしかにそうですね。
一方でアスリートの本質は何かといえば、そのような行動の自動化ではなく「自発性」だと僕は考えます。スポーツは瞬間ごとに異なる局面がやってくるなかで、自発的に先手を打ち環境を変えていくといったランダムさとつねにセットであるわけです。環境が設計されすぎると本質的な意味でのアスリート性は育ちにくくなってくるのではないでしょうか。
ー そういった意味では2020年のオリンピックでは、都市を中心としたストリートから生まれたスケートボード(ローラースポーツ)が正式種目になりました。そのようなスポーツを育んできた都市もスポーツをする環境としては適しているともいえるのではないでしょうか?
スケートボードの場合、板にホイールを付ければスポーツになるわけですが、スポーツってそもそもが日常の行為にゲーム性を加え、それがスポーツと認識されるとルールができて、という感じで成立している部分もあります。広くとらえれば身体を使ってゲーム化すればだいたいがスポーツになるんですよね。
ー 都市の隙間から生まれるものがスポーツを豊かにする可能性がありますね。そういった意味では為末さんが「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」のような陸上競技施設を作られた背景にはどのような問題意識がありましたか?
誰もがスポーツやアートを楽しむことをコンセプトとした施設になります。競技場のフィールドに入ったことがある人って少ないと思うんです。昔から単純にその回数を増やしたいと思っていました。陸上競技をやっていて感じていたのですが、少子高齢化していく中で、国を挙げて運動をしてもらいましょうといっている割には、こんなに競技場が使いにくい国って、先進国の中でも少ないと思うんです。それは使うまでのルールが厳しいのがひとつの理由でした。ここでは予約も不要、訪れるだけで自由に本格的なトラックの上で運動をすることができる環境をつくりました。それって本来のスポーツのあり方に近い気がしていて、海外だと競技場で散歩をしている人が普通にいるんですよ。
ー そんなに開かれているんですか?それは凄い。日本ではアイススケートが高い人気があるのに、スケートリンクは都内ではほとんどみかけませんね。
競技場を作るのは維持費の問題もあり、そう簡単なことではありません。ですが今ある施設を開放することは今すぐにできることのはずなんです。オリンピック開催都市において、スタジアムのレガシーが課題となっていますが、それこそがレガシーになると思いますし、今すぐにやった方がいいと思っています。その考えのひとつが競技場を公園化するというものです。ヨーロッパに行くと競技場に柵がないことも多く、子どもたちも競技場の中で遊んでいます。そういった意味では公園と競技場にほとんど差がありません。外国人の僕でさえちょっとした手続きをするだけで自由にフィールドで練習をすることができます。多少問題があったとしてみんなが自由に使えるようにしたら、スポーツへの向き合い方もぜんぜん変わると思うんですよね。
ー 純粋に競技場のトラックを歩いてみたいと思います。
そう思いますよね。そういった意味では、日本の公園の多くは走ってはいけないのを知っていますか?
ー そうなんですか?
それは本当にやめた方がいいと思います。ぶつかったりしたら危ないとか、もちろん公園でやってはいけないことを決めるのは悪いことではないのですが、本来走ることってものすごくいいことなのにどこかおかしいですよね。ですのでなるべく自由化したほうがいいと思うんですよね。楽しむということがスポーツの語源でもありますので。
ー 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに関しても何か取り組まれていることはありますか?
2020年に限定せずにやっていることはあるのですが、当面は「Xiborg」というパラリンピアンのための競技用義足を使った指導に取り組んでいます。まずは東京オリンピック・パラリンピックで義足のアスリートが活躍できるよう目標に掲げています
ー そこに賭ける思いとはどのようなものなのでしょうか?
世の中の視点、人々のマインドセットが変わる瞬間ってものすごくいいなと思っています。トレーニングされたアスリートが競技用義足で走ると、健常者よりも速く走るようになるといわれています。健常者に障害者が勝つことには何か象徴的な意味があるような気がして、それはまさに世の中が変わるきっかけを含んでいるように思っています。僕は寛容さをもち、みんなが平等でいることができる社会をスポーツを通じて実現できると信じています。
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