笠原颯太 インタビュー 後編
テラススクエアフォトエキシビション vol.19
Souta Kasahara 『can’t see well when I hug』 インタビュー<後編>
テラススクエアフォトエキシビションVol.19では、笠原颯太の写真展を開催します。ensembleでは、エキシビションスタート間近の作家に話を聞いた。作品制作の記録写真とともに、初めて明らかにされる作品とその背景を巡る言葉を通じ、写真家の知られざる創作の背景にせまるインタビューの後編です。
ー 今回の展示について教えてください。『can’t see well when I hug』というタイトルに込めた意味や思いも合わせてお願いします。
タイトルの『can’t see well when I hug』は「抱きしめると良く見えない」という意味の英文です。これは大切なものを抱き締めたときにそのものを目で見ることができなくなってしまう感覚を示したものです。私がこの作品で指す抱きしめるという感覚は、直接的な身体に依存したものではなく精神的な抱擁も含んでいます。また、作品としてよく見えないというもどかしい感覚を体験し、あらゆる感覚や存在のもつ危うさを認知することで、個人の大切なものを再確認するきっかけになることを願っています。
ー 4枚の大きなサイズの抽象的な作品にはどのような意味がありますか?
鑑賞者に対して隙を与え写真を美学的、感覚的に楽しんでほしいと願っているためです。私は常に写真の持つある種の押し付けのような暴力性、何かの証拠のような真実性を恐れています。私は美しい画像を作りたいと思っています。けれど写真は対象がなければ撮影できません。現実を直接切り取ったような写真の場合その多くが写真そのものではなく内容、被写体の美学に支配され純粋な画像の美しさには結びつかないと考えたためです。写真なのか絵なのか、何かわからないけど美しい。そういう体験が最も純粋な感動だと思っています。
ー 今回発表された抽象画のような作品とポートレートにも共通している「ぼやけたイメージ」の「ピントがあっていない感じ」にはどのような意図を込めていますか?
この作品のコンセプトであるよく見えないという感覚を鑑賞者と共有するためです。また、写真はどんどん消費的なメディアになっています。私は私が心を込めて撮影した写真が消費される事を恐れています。私が美しいと思い捉えたものを鑑賞者と共有し、その上で守りたいというエゴもあります。私の撮影したポートレートの多くは友人です。当たり前ですが彼女たちは私の写真の外で生きています。アウトフォーカスにするのは、ピントが合ってしまうことで生まれるあらゆる憶測や鑑賞が彼女たちを消費しないようにするためです。重複しますが私は鑑賞者の方には写真を美学的、感覚的に楽しんでほしいと願っています。その上で彼女たちの感情や心が見える必要はないと思っています。個人の体験を超えた写真にこそ価値があると思っているからです。
Souta Kasahara 『can’t see well when I hug』ー これらのイメージは具体的にどのような操作でつくっているのでしょうか?
撮影時、マニュアルフォーカスで作り出すアウトフォーカスに加え、ピントがあっている写真に対して後から複写など、あらゆる方法を使いました。
ー 笠原さんは西洋絵画からの影響もあるそうですが、今回制作していただいた作品には神聖な祈りや宗教的なものにも通じる不思議な魅力を感じました。白い純白のドレスやまさに天使のようなイメージの作品もあります。そのような作品のモチーフはやはりルネッサンス期などの絵画からでしょうか?
はい。今回の作品は絵画等からのインスピレーションは大きいと思います。ただ、それは写真に疲れたためです。
これまでの作品においても無意識に絵画から受ける影響はあったと思いますが、意識的に取り入れたのは実は今回が初めてです。
これまではあくまでも写真家の写真から何かを得ようとしていました。ただ、それってやっぱり真似で終わってしまうような気がしていて。
絵画からのインスピレーションに関しては自分の中ではっきりしたきっかけがあります。コロナウイルスが流行する前に「パリフォト」という世界最大級の写真祭に合わせて初めてフランスのパリに旅行をしたんです。そこでは世界中のギャラリーの一押しの作家の作品をみることができました。しかし、その前日にルーブル美術館でみた本物の絵画の数々への個人的な感動を超えられなかったんです。
もちろん写真には写真の見方、絵には絵の見方があると思うので一概には比べられませんが、絵が描けたら自分は絵がやりたいのかもって思ったんです。けれど絵は描けないので私が感じた感動に近いもの、説明なしでも無条件の美しさを提示してくれたような体験を写真で作りたくなったんです。
ー アウトフォーカスのところでもお話がありましたが、今回の作品では「複写」も試みられていますよね?複写はこれまでも行ってきた手法ですか?複写で作品をつくる理由や面白さを教えてください。
これまでは複写は反則だと思っていました。ですが写真が対象を写すものなら究極的に言えば全ての写真が誰かの生み出したものを撮影するという点では複写です。複写を用いる理由としては2次メディアの写真ではどうしても0から画面を作れないからです。ただ、複写は写真なのでカメラを使いアウトフォーカスやトリミングを行うことで既存の画面に新たな解釈を生み出すことはできます。今回作った絵画の一部を複写した作品も、最新のカメラを通し私が撮影することでオリジナルがもともともつ時間を超えて、あらたな作品として機能することを意図しています。それ自体が「制作」と呼べると思っています。
ー 複写作品以外にと神聖な宗教的ともいえるイメージは今回発表されている絵画的なポートレート作品にも現れているように感じました。これらの作品について教えてください。
宗教的と言われると特別宗教学に精通しているわけではないですし、この場合熱狂的なキリスト教の信者という訳でもないので少しプレッシャーを感じてしまいますが、宗教そのもの以上にキリスト世界における美学に影響を受けています。ただ、私は私にとっての神ともいえるような絶対的な存在を持っています。誰もが一度は神的な何かに祈ったことがあると思います。私は私の家族や友人が豊かで健康に在る事を祈っています。ただ、顔がはっきり写っているとそれは特定の誰かになってしまう。なので目を瞑った時や夢に出てくるときのあやふやな明瞭度でポートレート作品を作りました。
ー 写真作品というものには風景、静物、ポートレートなどさまざまなモチーフがありますが、今回の作品を制作中の雑談の中で、これからもポートレートを撮っていきたいとおっしゃっていました。被写体との関係性など笠原さんにとってポートレート作品とはどのような意味を持つものでしょうか?
私にとってポートレートを撮ることは、写真を撮る能力を人のために最も行使できる方法のひとつだと思っています。私が撮影したポートレートが相手にとって大切なものになることは純粋に嬉しいです。また、私自身、直接的な身体に関わらずどんな写真にも自分を含む人間の成分みたいなものがないと不安になってしまうんです。誰も手をつけていない大自然みたいな写真がすごく美しくても、作家の視点や人の形跡がないとそれはそれで不安なんです。
ただ、ポートレートは最も難しい写真だと思っています。
ー それと、色の陰影のみで構成された抽象的な4枚のイメージに共通する「静けさ」は、先ほどからお話している「祈り」や宗教的なものに私たちが感じる「静けさ」と共通するものでもあると思うのですが、笠原さんはどのように考えていますか?
確かに。そうかもしれません。これらのイメージを組んだときには特に「祈り」というキーワードを強く意識した訳ではなかったのですが、上がったものを見ると私もそう感じます。自分の潜在的な祈りが表出したのかもしれません。「祈り」って本当に個人の中にあるものだと思うんです。なので「静けさ」と結びつくんだと思います。
ー もう一点、西洋の宗教画に特に顕著だと思うのですが、それらの絵画と写真に共通するものに「光」があると思います。「光」について笠原さんはどのように捉え、考えていますか?
当然ながら写真に光は必要なものです。それと同時に光のアウトラインとしての影も写真や絵画においては必要不可欠なものだと思っています。ただ、絵画における光と写真における光とでは視覚し捉えているものは似ていても最終的に表出してくるものとして全く異なると思っています。絵画は色面として個人の中にある光が滑らかな質感を帯びて身体と強い結びつきを持って描かれます。しかし、写真が捉えられるのはどこまでも情報としての普遍的な光です。なのでそこに更に個人の解釈を込めることができると思っています。逆にそれが究極的な写真の全てだと思います。
ー 今回の11点は短い期間でまとめたものだと思いますが、タイトル、コンセプト、作品に一貫性が感じられ、「小品」かもしれないけどとても見応えのある作品群になったと思います。そういった意味では笠原さんは作品を「選ぶ」ことがとても優れていると思ったのですが、作家にとって自分が撮った、つくったものを選ぶという行為は「つくる」ことと同じくらい重要だと思っています。笠原さんにとって選ぶことはどのような意味を持つのだと思われますか?
ありがとうございます。私もセレクトは制作において最も重要な過程だと思っています。撮影以上にセレクトこそが製作の核であるからです。作家それぞれ撮影スタイルはあると思いますが作家の個性を作るのはセレクトにあると思います。デジタルカメラにおいてはあらゆるパターンの撮影を1つの対象に対して施しそれを後から選ぶことがかなりやりやすくなっていますよね。その中から自分が何を見せるかということが作家のアウトラインを作ると思います。つまりこれはどんな画面に作家が魅力を感じているかということだからです。また、写真は展示などの使用の仕方や、個人的に好きな写真と誰かに見せたい写真、作品になる写真と作品にせずとも個人的に飾って楽しむ写真など、一枚の写真でもそれを発表する人間、目的、場所、時期によって様々な意味を持ちます。その事に意識的になるということが作家であるということの大きなひとつの条件だと個人的に思っています。
Souta Kasahara 『can’t see well when I hug』ー 笠原さんが写真を撮る上で大切にしていることを教えてください。
他人の美学やルールに縛られず自分の美学に基づいた美しい画面を作ることです。
それからポートレートにおいては撮影を通しこれが搾取になっていないかということに意識的になります。
ー これからどのような作品をつくっていきたいですか?今興味があることも合わせて教えてください。
信念を持って自由な制作をしたいです。まだまだ長い人生です、とにかくがむしゃらに制作を続けていきたいと思っています。作家がどういうものか私はまだまだ分かっていません。けれど、大前提に人間として人に優しく、間違えることはあっても正しく在りたいと思っています。
未熟ではありますが、写真を扱えるというのは私の持つ技術のひとつだと認識しています。この技術を高めつつもっと世の中のために使いたいです。なのでクライアントワークも沢山していきたいです。どんなものでも挑戦したいのですが、特に私自身もファッションは好きなのでファッション雑誌やブランドルックの撮影には特に挑戦したいです。
ー 今回のテラススクエアでの展示のどのようなところをみてもらいたですか?そしてどのように楽しんでもらいたいですか?
そうですね。ビルのエントランスで約3ヶ月作品を展示できるというのはとても貴重な機会だと思っています。鑑賞者の皆様には私の意図を読もうとするのではなく、純粋に目の前に現れた画面に対し自由な鑑賞をしていただけたらと思います。色々な形で作品と出会い鑑賞してくださる方が展示期間中にいらっしゃると思います。そんな皆様の安らぎや救いとして一瞬でも機能することを願っています。
笠原颯太 Souta Kasahara
1999年生まれ。武蔵野美術大学在学
カメラを使用した美しいイメージの作成を基盤に作品を制作している。
@souta.kasahara
テキスト、作家ポートレート撮影=加藤孝司 Takashi Kato
- テラススクエアフォトエキシビションVol.19「笠原颯太 can’t see well when I hug」
- 住所: 千代田区神田錦町3-22 テラススクエア 1F エントランスロビー
- 開催日時: 2021年5月24日(月)〜2021年8月20日(金) / 8:00~20:00
- 休館日: 土曜・日曜・祝日 入場無料
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